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デジレ・フランソワ・ロージェ
フランスの画家 ウィキペディアから
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デジレ・フランソワ・ロージェ (Désiré François Laugée、1823年1月25日 - 1896年1月24日)は、フランスの画家である。農村の人々の生活や、宗教画を描いた。
略歴
ノルマンディー、セーヌ=マリティーム県のマロンム(Maromme)の商人の家に生まれた[1]。1825年に家族とエーヌ県のサン=カンタンに移った。サン=カンタンの美術学校で学び、サン=カンタンで美術学校の校長をしていたルイ・ニコラ・ルマール(Louis Nicolas Lemasle: 1788–1876)にも学んだ[2]。
ルマールに勧められてパリにでて、パリ国立高等美術学校に入学しフランソワ=エドゥアール・ピコの生徒になった。1845年にパリのサロンに作品が受理された。イギリスやベルギーで修行した。
サン=カンタン近くの村ノーロワ(Nauroy)出身の画家ジャン=バティスト・マレジュー(Jean-Baptiste Malézieux: 1818-1906)と友人になり、1950年にマレジューの妻の姉妹とノーロワで結婚した。ノーロワで暮らしスタジオも開き、「ノーロワの画家(Maître de Nauroy)」と呼ばれた[2]。
パリのサロンには1845年から1896年の間、毎年出展し、何度か賞を受賞した。農村の日常を題材に描くことが多かったが、肖像画も描いた。パリのサントトリニテ教会やサント・クロチルド聖堂、サン・ピエール・デュ・グロカイルー教会(Église Saint-Pierre-du-Gros-Caillou)やサン=カンタンの教会などの装飾画も描いた[1]。
1865年レジオンドヌール勲章(シュバリエ)を受勲した。
1896年にパリで亡くなった。息子のジョルジュ・ロージェ(Georges Paul François Laurent Laugée: 1853-1937)は画家になり、娘は画家のジュリアン・デュプレ(Julien Dupré: 1851-1910)と結婚した。
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作品
- 縫物
国立美術館 (ブラジル) - 「祈り、または巡礼」(c.1883)
Musée des Beaux-Arts de la ville de Paris - 村の洗濯女
- サントトリニテ教会の宗教画
- ポピーの収穫
- 臨終のヴィクトル・ユーゴー
- アラスの異端裁判 (1881)
Calvet Museum
脚注
参考文献
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