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トンキン保護国

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トンキン保護国(トンキンほごこく、フランス語: Protectorat du Tonkinベトナム語Xứ bảo hộ Bắc Kỳ / 處保護北圻)は、ベトナム北部を占めていたフランスの保護領である。

トンキン保護国
Protectorat du Tonkin(フランス語)
Xứ bảo hộ Bắc Kỳ(ベトナム語)
阮朝
ベトナム帝国
1883年 - 1948年 ベトナム帝国
ベトナム臨時中央政府
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国旗 (印章)
国歌: La Marseillaise(フランス語)
ラ・マルセイエーズ

Đăng đàn cung英語版(ベトナム語)
登壇宮
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1920年のトンキンの行政区分
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安南と同様に、トンキンは事実上阮朝が統治していたが、1886年にフランスは新たな役職、「副王」(ベトナム語Kinh lược nha / 經略衙)を設置したことで、トンキンをフエの阮朝宮廷から分離させた[2]。しかし1897年7月26日に副王は廃止され、トンキン理事長官は植民地政府及び阮朝宮廷の代表となった[2]1887年、トンキンはフランス領インドシナの一部となった。

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解説

1945年、阮朝に於ける当時の皇帝バオ・ダイパトノートル条約を破棄し、日本の傀儡国家であるベトナム帝国を樹立した。日本が降伏第二次世界大戦が終結した後、ベトミンベトナム八月革命を起こして阮朝を廃止させ、ベトナム民主共和国独立宣言を行った。

トンキンはフランスに返還される前、中国国民軍によって占領されていた。事実上全ての民族主義勢力を排除した後[3][4]、ベトミンは領土の支配を巡ってフランスと衝突した(第一次インドシナ戦争)。1948年に安南及びトンキンは、ベトナム臨時中央政府の下で正式に統合された。フランスは1949年仏独協力条約に署名した後、1950年にバオ・ダイ及びベトナム国に正式に主権を譲渡するまで、トンキンを合法的に統治した[5]

ギャラリー

地図

脚注

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