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ノースブルック男爵
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ノースブルック男爵(英: Baron Northbrook)は、連合王国貴族の男爵位。
1866年にベアリング家嫡流のフランシス・ベアリングが叙されたのに始まる。1876年に第2代ノースブルック男爵トマスがノースブルック伯爵に叙されているが、トマスの血統は二代しか続かなかったため廃絶している。トマスの弟の家系がノースブルック男爵位を継承して現在に至っている。2015年現在の当主は第6代ノースブルック男爵フランシスである。
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歴史


ベアリングス銀行の創設者である初代準男爵サー・フランシス・ベアリング(1740-1810)は、1793年5月29日にグレートブリテン準男爵位「(ラークビーアの)準男爵(Baronet "of Larkbeer")」に叙されている[1][2][3]。
その嫡流の孫である第3代準男爵サー・フランシス・ソーンヒル・ベアリング(1796-1866)は、ホイッグ党政権下で財務大臣や海軍大臣等を務め、1866年1月4日に連合王国貴族爵位「カウンティ・オブ・サウザンプトンにおけるストラットンのノースブルック男爵(Baron Northbrook, of Stratton, in the County of Southampton)」に叙せられた[4][2]。
その長男である第2代ノースブルック男爵トマス・ジョージ・ベアリング(1826-1904)は、1872年から1876年にかけてインド総督を務めたが、親インド的統治を行おうとしたためにインド担当大臣第3代ソールズベリー侯爵ロバート・ガスコイン=セシルと対立を深め、辞任に追い込まれた経緯を持つ[5]。しかし帰国後の1876年6月10日に連合王国貴族「カウンティ・オブ・サウザンプトンにおけるノースブルック伯爵(Earl of Northbrook, in the County of Southampton)」および「カウンティ・オブ・ケントにおけるリーのベアリング子爵(Viscount Baring, of Lee, in the County of Kent)」に叙せられている[6]。
ノースブルック伯爵位は長男フランシス・ジョージ(1850-1929)に継承されたが、彼には子供がなかったため、1929年の彼の死とともに廃絶した[7]。
第4代ノースブルック男爵位と第6代準男爵位は初代ノースブルック男爵の次男フランシス・ヘンリー(1850-1915)の子フランシス・アーサー(1882-1947)によって継承された[8]。
彼の死後はその長男フランシス・ジョン(1915-1990)が第5代ノースブルック男爵位と第7代準男爵位を継承[9]。
彼の死後はその長男であるフランシス・トマス(1954-)が第6代ノースブルック男爵位と第8代準男爵位を継承して現在に至っている。1999年の貴族院改革で世襲貴族は92議席を残して議席を失ったが、彼は世襲貴族枠で議席を留めている[10][11]。
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現当主の保有爵位
現当主である第6代ノースブルック男爵フランシス・ベアリングは、以下の爵位を有する[2]。
一覧
(ラークビーアの)準男爵(1793年)
- 初代準男爵サー・フランシス・ベアリング(1740年-1810年)
- 第2代準男爵サー・トマス・ベアリング(1772年-1848年)
- 第3代準男爵サー・フランシス・ベアリング(1796年-1866年) ※1866年にノースブルック男爵。
ノースブルック男爵(1866年)
- 初代ノースブルック男爵フランシス・ソーンヒル・ベアリング(1796年-1866年)
- 第2代ノースブルック男爵トマス・ジョージ・ベアリング(1826年-1904年) ※1876年にノースブルック伯爵
ノースブルック伯爵(1876年)
- 初代ノースブルック伯爵トマス・ジョージ・ベアリング(1826年-1904年)
- 第2代ノースブルック伯爵フランシス・ジョージ・ベアリング(1850年-1929年)
ノースブルック男爵(1866年)
脚注
参考文献
関連項目
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