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ハートマウンテン移住センター
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ハートマウンテン移住センター(Heart Mountain Relocation Center)は、第二次世界大戦時にアメリカ合衆国ワイオミング州ハートマウンテン(Heart Mountain)近郊にあった日系アメリカ人収容所。イエローストーン国立公園から東へ60マイル (96.6 km)、モンタナ州との州境から 南へ 45マイル (72.4 km) に位置する。日系人の間では「心嶺山」の表記が当てられる事もあった。
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概要
1942年10月時点で、アメリカ西海岸の居住者を中心に1万人以上が収容されていた。戦後は、多くのものが元の居住地へ戻っていったが、ごく僅かな者が収容所近くに残り農業に従事した[3]。
徴兵抵抗運動
ハートマウンテンでは、他の収容所とは異なり徴兵抵抗運動が組織されたことで知られる。収容者に対する徴兵については、収容者同士でも意見の相違が起きたが、最終的に抵抗運動の組織者は扇動罪で連邦刑務所へ送致され、徴兵検査を忌避した者は懲役刑が言い渡された。1947年、ハリー・S・トルーマン大統領は、徴兵抵抗者に謝罪を行い名誉回復が行われた[4]。
ギャラリー
ハートマウンテン移住センター収容者で写真家のヒカル・イワサキによる作品
- 歯科医師ナカハラ1943年11月18日
- 眼科医ライト・カワカミ1943年11月18日
- X線検査をするヒデキ・ササイ1943年11月18日
- ダンスのレクレーション1943年11月24日
- フットボールチームジャックラビットとオールスターズの試合1943年11月25日
- 上の写真の試合を氷点下の中見守る観客
- 収容者の長時間の労働状況を写した写真。1943年11月21日撮影
脚注
著名な収容者
関連項目
参照
外部リンク
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