トップQs
タイムライン
チャット
視点
ピエロー・ジュニア
ウィキペディアから
Remove ads
ピエロー・ジュニア(Pierroth Jr.、本名:ノルベルト・サルガド・サルセド(Norberto Salgado Salcedo)、1958年3月10日 - )は、メキシコのプロレスラー(元覆面レスラー)。モレロス州クエルナバカ出身。
Remove ads
来歴
EMLL(現在のCMLL)を主戦場にし1988年4月4日にはエル・ハルコン78を破りメキシコナショナルライトヘビー級王座を奪取、一度防衛に失敗したが1990年1月12日に再びモグールを破り同ベルトを奪取[2]。
1990年5月26日にベスティア・サルバヘと組んでアンヘル・アステカ、アトランティスを破りメキシコナショナルタッグ王座を奪取[3]。
1991年9月にCMLLで行われたCMLL世界ライトヘビー級王座決定トーナメントで決勝でジェリー・エストラーダに破れ初代王者にはなれなかったが、1992年3月19日に再挑戦し奪取[4]。
3日後の3月22日にはマサクレ、ハケ・マテの「ロス・イントカブレス」と組んでエル・サタニコ、ピラタ・モルガン、MS1の「ロス・インフェルナレス」を破りCMLL世界トリオ王座を奪取[5]、10月にはWARに日本初来日[6]、1993年1月[7]、1994年1月[8]にも来日した。
1995年2月21日にはCMLLにてラヨ・デ・ハリスコ・ジュニアを破りメキシコナショナルヘビー級王座を奪取[9]。1996年8月9日にはビジャノ3号、ビジャノ4号、ビジャノ5号の「ロス・ビジャノス」と組んでメキシコナショナルアトミコス王座奪取[10]。
1996年にはAAAに移籍、7月にはWWF(現在のWWE)に出場[11]、1997年1月にもWWFに出場し、ロイヤルランブルに参戦した[12]。
1998年7月20日には抗争中だったラ・パルカにコントラ・マッチで破れ素顔を晒す[13]。
その後CMLLに戻ったが、すぐにインディを転戦した。2008年以降、試合に出場しておらず現在はリタイヤ状態と思われる。
近年、「ピエロー」を冠したレスラーが多数現れる。一部はラ・ファミリア・ピエロー(La Familia Pierroth)としてチームで活動している。メンバーにエル・イ・ホ・デル・ピエロー(2007年5月に全日本プロレスに来日したYAMADA)、ピエロー2号(IWRGで活躍するアンチクリスト)、ピエロー・ジュニア(AAAやIWRGで活躍するXフライ)、トロ・ブランコがCMLLで名乗るピエロー。
Remove ads
得意技
獲得タイトル
- EMLL / CMLL / メキシコ連邦区ボクシング・レスリング協会
- メキシコナショナルライトヘビー級王座 :4回
- メキシコナショナルタッグ王座(w / ベスティア・サルバヘ)
- CMLL世界ライトヘビー級王座
- CMLL世界トリオ王座(w / マサクレ、ハケマテ)
- メキシコナショナルヘビー級王座
- メキシコナショナルアトミコス王座(w / ビジャノ3号、ビジャノ4号、ビジャノ5号)
- CMLL・ラ・コパ・デ・オロ 1995優勝(w / シカゴ・エキスプレス)
- CMLL・トルネオ・デ・パレハス 2005年優勝(w / ブラソ・デ・オロ)
- AAA
- AAAカンペオン・デ・カンペオンズ王座[13]
- IWRG
- IWRGインターコンチネンタルヘビー級王座[13]
脚注
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads