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フィアナ騎士団
ケルト神話に登場する騎士団 ウィキペディアから
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フィアナ騎士団(フィアナきしだん、英語:Fianna、スコットランド・ゲール語:Fèinne)、またはフィアナは、アイルランドの先史時代から中世初期にかけてゲール語圏アイルランドに存在した小規模な戦士の集団である。フィアナは複数形で、単数形はフィアン(Fian)。語源は諸説あるが、主流は狩猟集団を意味するケルト祖語*wēnā に由来するとされる[1]。

彼らはフィン物語群と呼ばれるアイルランド伝承に登場し、フィアナの長フィン・マックールとその仲間たちの冒険や英雄的行為が中心的に語られている。後世の物語では、フィアナはしばしばアイルランド上王に仕える近衛隊(Fianna Éireann)として描かれるようになった。
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歴史
フィアナという制度は、中世初期アイルランドの法律書の記述によって知られている。元来のフィアナとは、放浪の狩猟者の集団であった[2]。構成員は土地を持たない自由身分の若者たちで、特に若い貴族が多く、「里親のもとでの養育を終えたが、まだ一族の土地所有者として財産を相続していない者たち」であった[3][4]。フィアナの一員はフェーンニド(fénnid、戦士の意)と呼ばれ、その指導者はリーフェーンニド(rígfénnid、王の戦士の意)と呼ばれた[5]。フィアナの生活様式はフィアナイハト(fíanaigecht、戦士文化の意)と呼ばれ、野外での生活、狩猟、略奪、武術の訓練、詩作などが主であった。彼らはまた傭兵としても活動した。野生動物、特に狼や鹿がフィアナの象徴的存在であったと考えられている。いくつかの史料では、フィアナはフラハト・フィア(fulacht fiadh、野生の串の意)と呼ばれる屋外の焼けた塚と調理用の穴とも結び付けられている[3]。
17世紀の歴史家ジェフリー・キーティングは、その著書『Foras Feasa ar Éirinn』において、「冬の間、フィアナは貴族のもとに宿営し、食事を与えられる代わりに秩序維持に従事し、夏から秋にかけては狩猟によって食料や毛皮を得て生活せねばならなかった」と述べている。『Foras Feasa ar Éirinn』は伝承の集成であり、必ずしも信頼できる歴史書ではないが、この点については、初期アイルランド文学の記述や中世スコットランドで鹿や猪の禁猟期が存在したことなどが裏付けとされている[6][7]。
20世紀の歴史家ヒューバート・トマス・ノックスは、フィアナを「15世紀から16世紀に現れたギャローグラス傭兵団のような集団だが、フィアナはその地方の出身者ではない冒険者の指揮下にあり、誰であれ報酬を払える者にはその軍事力を提供する自由傭兵団であった」と評している[8]。
フィアナは初期アイルランドの世俗社会において容認された制度であり、世俗文学でも12世紀までその存在が肯定され続けた。しかしキリスト教には好まれず、フィアナの衰退にはキリスト教の影響が大きかったと考えられる。聖職者たちはしばしば彼らをディーベルガ(díberga、略奪者の意)やマック・バーシュ(maicc báis、死の息子たちの意)と呼び、聖人伝の中には、彼らを「非キリスト教的で破壊的な生き方」から改宗させる話が語られている[3][9]。
彼らはクーラーン(cúlán)と呼ばれる髪型をしていたと伝えられる。これは後ろ髪を長く伸ばし、頭の一部を剃るものである[9]。また、一部の者は頭に奇妙な、あるいは悪魔的な印を持っていたとされ、これを刺青のことだと解釈する説もある[10]。
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伝承
要約
視点
→詳細は「フィン物語群」を参照
初期の物語では、フィアナの各集団は放浪する狩猟者・戦士として描かれ、異教的・魔術的な要素も数多く含まれている。後期の物語ではフィン・マックールとその仲間たちに焦点が移り、上王コルマク・マク・アルトに仕える騎士団として描かれるようになった。これはフィアンナ・フィン(fianna Find)と呼ばれる。フィアナは通常ひとつの集団でありながら二つの派閥に分かれているとされる。すなわち、フィン率いるレンスターのバスクナ氏族と、ゴル・マク・モーナ率いるコノートのモーナ氏族である。
彼らは戦いの前や戦闘の最中に雄叫びを響かせた。それは仲間同士の合図であると同時に、敵に恐怖を与えるためでもあった。フィンは孫オスカーが倒れるのを目にした時、雄叫びを高らかに上げ、激しい怒りとともに敵へ反撃し、数十人もの戦士を討ち取ったとされる[9]。
フィアナには以下の三つの標語があったとされる。
- Glaine ár gcroí ― 心の清らかさ
- Neart ár ngéag ― 四肢の力強さ
- Beart de réir ár mbriathar ― 言葉に相応しき行動
神話上ではクー・フーリンが活躍したアルスター伝説のさらに300年後の伝説と語られている。また、フランスの武勲詩ローランの歌に登場する十二勇士、アーサー王率いる円卓の騎士の原型と見る意見もある。
終焉
二人目の妻マニーサと死別した老雄フィンは、新たな妻としてコルマク・マク・アルトの娘グラーニャを迎え入れるが、彼女には仲間であったディアルムドと駆け落ちされる。後に和解するもフィンはディアルムドを許し切れず、彼を死に追いやったことで、晩年には配下との間に深い溝を作ることとなる。
やがてコルマクが崩御し、息子のカルブレ・リフハーが即位した。しかしカルブレの娘の結婚に際して、フィンは慣習として莫大な金塊を要求する。カルブレはフィアナは強大になりすぎたがゆえに堕落したと判断し、フィンの使者フェルディアを殺害して、宣戦布告する。ガウラの戦いにおいて、フィンは五人の敵兵に槍で貫かれ戦死し、この戦いでフィアナも壊滅した。ある年代記では284年の出来事とする[11]。
幼少期から老年に至るまで活躍するフィンの伝説は再話され、民話などで多くの変化を見せている。その死についても、ゲッシュを破ったためボイン川で溺死したとも、アイルランドに危険が迫るまで眠り続けているという、アーサー王とアヴァロンの伝承を思わせる伝説も残っている。巨人フィンとしての伝説もあり、アイルランド北部の海岸には六角形の石柱の連なる景観が広がる「巨人の石道」という場所があるが、これは巨人フィンが造ったといわれており、現在では世界遺産に登録されている。
構成員
- フィン・マックール - フィアナの長。
- クール・マク・トレーンヴォル - フィンの父で、かつての長。
- ゴル・マク・モーナ - クールを殺して長となるが、フィンが成長すると長の座を譲る。元の名はアエドで、戦いで片目を失ったことからゴル(隻眼の意)を名乗る。ガウラの戦いではカルブレの側に付き、フィンと敵対する。
- リア・ルアクラ - 名前は「ルアクラの灰色の者(Grey one of Luachair)」の意。『フィンの少年時代の行い』に登場する。醜悪な巨体の戦士で、ゴルが長を務めていた時期に出納係を任され、フィアナの長の証であるコルボルグ(鶴革の袋の意)を保管していた。彼の蛮行に耐えかねたフィンによって討ち取られた。
- コナン・マク・リア - リアの息子。父の死後、ルアクラの領主としてフィアナに敵対するが、後にフィンと和解して一員になる。
- カイルテ・マク・ロナン - フィンの甥。俊足の持ち主で竪琴の名手。ガウラの戦いを生き延び、聖パトリキウスにフィアナの物語を語り聞かせる。
- コナン・マク・モーナ - ゴルの兄弟にしてフィンの盟友。別名「コナン・マウル(禿頭の意)」。喜劇的な人物として描かれ、肥満体で強欲だが、フィンに忠実で、決して戦いからは逃げることはない。
- ディアルムド・ウア・ドゥヴネ - 愛と美を司る神にして妖精王オェングスを育ての親に持つ。『ディアルムドとグラーニャの追跡』で有名。
- オシーン - フィンの息子。詩人。常若の楽園(ティル・ナ・ノーグ)へと赴いた冒険譚が有名。物語のバージョンによってはカイルテと共に、聖パトリキウスにフィアナの物語を語る。
- オスカー - オシーンの息子。ディアルムドと共にフィアナ最強の戦士とされる。ディアルムドとは友情で結ばれており、彼を見殺しにした祖父フィンを非難する。ガウラの戦いで上王カルブレを討ち取るが、同時にその時の傷で命を落とす。
- カール・ウア・ニーヴナン - レンスター王ニーヴナンの孫。妖精の女王の恋人であったが溺死した。
- ディアリン・マク・ドバ - 予知や千里眼の能力を持つ。
- ルハイド・ラムファダ - フィンの甥。魔術師にして戦士。海神マナナン・マクリルの娘オイフェの恋人。
- クレードネ - 女戦士。
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脚注
出典
参考文献
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