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フリードリヒ2世 (ヘッセン=カッセル方伯)
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フリードリヒ2世(Friedrich II., 1720年8月14日 - 1785年10月31日)は、ヘッセン=カッセル方伯(在位:1760年 - 1785年)。
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生涯
ヴィルヘルム8世とその妻であったザクセン=ツァイツ公モーリッツ・ヴィルヘルムの公女ドロテア・ヴィルヘルミーネ(1691年 - 1743年)の息子。
1740年にイギリス王兼ハノーファー選帝侯ジョージ2世の王女メアリー(1723年 - 1772年)と結婚した(式は5月8日に代理人を介してロンドンで、6月28日に本人が出席してカッセルでそれぞれ行なわれた)。
2人の間には、以下の4子が生まれた。
- ヴィルヘルム(1741年12月25日 - 1742年7月1日) - 夭逝
- ヴィルヘルム9世(1743年 - 1821年) - ヘッセン=カッセル方伯、後にヘッセン選帝侯(ヴィルヘルム1世)となる
- カール(1744年 - 1836年)
- フリードリヒ(1747年 - 1837年)
また、1772年にメアリーと死別すると1773年1月10日にベルリンにてブランデンブルク=シュヴェート辺境伯フリードリヒ・ヴィルヘルムの娘フィリッピーネと再婚したが、彼女との間には子供は生まれなかった。
1749年に父と共にケルン大司教クレメンス・アウグスト・フォン・バイエルンを訪ねた際、カトリックに改宗したが、ヘッセン=カッセルの宗教はカルヴァン派にとどめ、自身の子供もプロテスタントとして育てた。
1760年、父の死によってヘッセン=カッセル方伯位を嗣いだ。1775年にアメリカ独立戦争が勃発するとフリードリヒ2世はイギリスとの間に傭兵提供条約を結び、これによって莫大な収益をあげた。
1785年にカッセルで死去し、次男ヴィルヘルムがヴィルヘルム9世として方伯位を嗣いだ。
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関連項目
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