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ブルグント王国

ローヌ川流域を領土として存在した王国 ウィキペディアから

ブルグント王国
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ブルグント王国(ブルグントおうこく)は、ローヌ川流域を領土として存在した王国。現在のフランススイスにまたがっており、ブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏、及びスイスのフランス語圏とおおよそ一致する。9世紀末からは プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュールも領域に含んだ。

ブルグント王国
: Royaume de Bourgogne
: Königreich Burgund
西ローマ帝国 411年 - 1378年[1] フランス王国
サヴォイア伯国
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ブルグント王国の481年頃の版図(黄緑)
さらに見る 首都, 411年 - 436年 ...
  1. 表記は神聖ローマ帝国がフランス王国にブルグントを割譲した年。ブルグント族のブルグント王国滅亡は534年879年にキスユラ・ブルグント王国成立、912年にユーラ・ブルグント王国成立。ユーラ・ブルグント王は933年にキスユラ・ブルグント王国を併合し単にブルグント王国、アルル王国と呼ばれる国となる。1032年にはブルグント王家が断絶し、神聖ローマ帝国に組み込まれる。
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ブルグント族が443年にサヴォイに定住した後の、ブルグント族の"第一の王国"
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アルル王国を通称とするブルグント"第二の王国"(緑色)。12~13世紀。
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"第三のブルグント王国"とも呼ばれるブルゴーニュ公国。1465年–1477年。
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名称

歴史

関連項目

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