トップQs
タイムライン
チャット
視点

ブルーノ・バルトレッティ

ウィキペディアから

ブルーノ・バルトレッティ
Remove ads

ブルーノ・バルトレッティBruno Bartoletti, 1926年6月10日 - 2013年6月9日[1])は、イタリア指揮者

概要 ブルーノ・バルトレッティBruno Bartoletti, 基本情報 ...

イタリア・オペラと、近代および現代作品を中心とするレパートリーを持ち、デビュー以来半世紀以上にわたってオペラコンサートの指揮者として活躍した。

Remove ads

人物・来歴

ブルーノ・バルトレッティは、1926年6月10日、トスカーナ州フィレンツェ県セスト・フィオレンティーノに生まれる。フィレンツェに出てルイジ・ケルビーニ音楽院英語版に進み、学内オーケストラの第2フルートのポジションを得たバルトレッティは、第二次世界大戦中の1941年にオーディションに合格してフルーティストとしての最初のコンサートを行った[2]。そのコンサートの観客の中には、ピアニストのアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリの姿もあった[2]。のちにはルイージ・ダッラピッコラにも師事し、『囚人英語版』の初演の手伝いにも携わった[2]。その後は指揮に転科し、1953年にフィレンツェでヴェルディリゴレット』を振ってデビューする[3]。この年には、同じセスト・フィオレンティーノ出身で1歳年下のロザンナ・サンドレッティと結婚し、ロザンナとは2011年に先立たれるまで58年間連れ添った[4]。3年後の1956年にはシカゴ・リリック・オペラでヴェルディ『イル・トロヴァトーレ』を指揮してアメリカデビューを果たす[5][6]。バルトレッティとシカゴ・リリック・オペラの間は特に親密で、1964年には芸術監督の一人に就任し、1975年からはそのポストを単独で維持して1999年まで務めた[5][6]。シカゴでは592から600以上の公演を指揮し、取り上げた作品は少なくとも55作品におよんだ[5][6]。1991年にはプロコフィエフ賭博師』のアメリカ初演を指揮している[3]

シカゴ以外では、1964年7月24日にヒナステラのオペラ『ドン・ロドリーゴ英語版』をブエノスアイレステアトロ・コロンで世界初演[3][7]。1965年から1973年まではローマ歌劇場音楽監督[3]。1967年にはNHKイタリア歌劇団で来日し、ドニゼッティランメルモールのルチア』を指揮した[8][9]。1985年から1991年にはフィレンツェ五月音楽祭の芸術監督を務め[3][10]、2007年-2008年のシーズンにヴェルディ『椿姫』でシカゴ・リリック・オペラにおける最後の公演を行ったあとはフィレンツェに戻り[6]、イタリアでの指揮活動および後進の指導にあたった。2009年にはフィレンツェの名誉市民に選ばれた[5]

主要レパートリーは、イタリア・オペラのほか、ベルクの『ヴォツェック』と『ルル』、ヴァイルの『マハゴニー市の興亡英語版』といった現代作品も含まれている[10]

Remove ads

主なディスコグラフィ・フィルモグラフィ

Remove ads

脚注

参考文献

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads