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NHKイタリア歌劇団

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NHKイタリア歌劇団(NHK LIRICA ITALIANA)は、NHKが主催した1956年から1976年にかけて8次に渡って開催されたイタリアオペラを中心とするオペラ興行である。

概要

要約
視点

1956年の第1次は、NHKの放送開始30周年記念事業と日伊文化協定発効記念という名目で開催された。当初は指揮者演出家美術、主役と脇役を含む歌手はイタリア人が招かれ、それ以外のオーケストラ、合唱、バレエ、スタッフは日本人が分担する構成であった。当時NHK職員としてかかわっていた三善清達はこの招致によって「日本のオペラの考え方というものを根本から覆された」と語っている[1]

後年になるに従い、衣装や小道具、舞台製作などでイタリア人スタッフが増加した。このようなスタッフ構成でイタリア人と共同してオペラ製作をすることで、日本人の合唱指揮者、副指揮者、合唱団などの音楽家だけでなく、オペラの裏方スタッフまで、日本におけるオペラ上演の基盤作りに大きく貢献した。

合唱指揮者としての森正福永陽一郎などに加えて、副指揮者として外山雄三岩城宏之若杉弘菊池彦典などが参加し、多くの若手指揮者のオペラ経験の場となった。スタッフでも美術監督として妹尾河童や、舞台監督助手として佐々木忠次が第1次公演に参加するなど、その後の日本のオペラ人材を育てる礎となった。

第1次公演は、指揮者のヴィットリオ・グイの意向が演目にも影響されたが、当時の日本ではヴェルディの『ファルスタッフ』を受容する聴衆が少なかったため、第2次公演では有名作品中心の選曲となった。しかし、第3次公演での『アンドレア・シェニエ』の日本初演が大成功したことから、第4次の『西部の娘』、第5次の『ドン・カルロ』、第6次の『ラ・ファヴォリータ』、第8次の『アドリアーナ・ルクヴルール』、『シモン・ボッカネグラ』などが日本初演された。

特筆すべきは、第1次公演からテレビとラジオで放映され、日本のオペラの聴衆を一気に拡大させることとなった(オペラ好きとして知られる小泉純一郎元首相は、前述の『アンドレア・シェニエ』をテレビで見たのがきっかけだったと語っている)。ラジオの通常放送に加えて、1956年の第1次公演では既に、NHK第1とNHK第2によるモノラル2波を使って左右独立の音声を流すステレオ放送(当時は「立体放送」と呼んでいた)が実施されていた(1952年12月開始。1954年11月からは同レギュラー番組「立体音楽堂」も開始)こともあり、公演の全演目(全公演ではない)がステレオで収録された[注 1]。これは現在でも世界中のオペラファンが、1950年代のオペラ黄金期のライブとして礼賛するものである。

又、同公演ではテレビでも最新技術が導入され、1959年の第2次公演からは前年(1958年)日本に初めて導入・実用化された2インチVTRが使用され[注 2]、1963年の第4次公演では一部の公演にてNHKの音楽番組の劇場中継としては初のカラーVTR収録・放送を実施、1967年の第5次公演からは全面カラー化され、1971年の第6次公演及び1973年の第7次公演では、当時実験放送中だった音声多重放送のステレオ収録・放送を行っている(詳細は各公演を参照)。

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第1次公演(LIRICA ITALIANA 1956)

要約
視点

1956年9月29日から10月28日まで、『アイーダ』、『フィガロの結婚』、『トスカ』、『ファルスタッフ』のオペラ4演目とヴェルディの『レクィエム』及びオペラ・アリア・コンサートが演奏された。

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第2次公演(LIRICA ITALIANA SECONDA STAGIONE)

要約
視点

1959年2月4日から3月7日まで、『オテロ』、『ラ・ボエーム』、『愛の妙薬』、『椿姫』、『カルメン(イタリア語上演)』の5演目とオペラ・アリア・コンサートが演奏された。

全8回のイタリア歌劇団公演の中でも、『オテロ』の上演は白眉とされる。
デル・モナコの歌唱は、日本のオペラ界における「黒船」にも喩えられ、上演から半世紀以上経っても「デル・モナコのオテロを見た」と語るオペラ・ファンがいる。対するゴッビも「オペラ團十郎」と喩えられる劇的な表現で、多くの日本人がオペラにおける演技に開眼した。声の絶頂期にあった二人の歌手が、それぞれの当たり役で優れたステレオ録音に加えて、映像でも残されたことで、LDやDVDのメディアに加えて、YouTubeなどで世界中のオペラ・ファンを今なお魅了し続けている。

尚、同年3月1日での『カルメン』 第2・4幕の放送については、NHKラジオ第1・第2及びNHK教育テレビ音声(東京のみ)のモノラル3波を使った、三元立体(=3チャンネルステレオ)放送を実施している[注 3][2]

テレビの録画放送では、この公演から前年に導入された2インチVTRの使用が開始された。しかし、この公演当時は未だ放送用として使用できるビデオテープの数が少ないこともあり、ビデオテープではなくキネレコで残されており、後に再放送・映像ソフトで発売された映像は全てそのキネレコによるものである。

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第3次公演(LIRICA ITALIANA TERZA STAGIONE)

要約
視点

1961年9月28日から11月2日まで、『アンドレア・シェニエ』、『リゴレット』、『トスカ』、『アイーダ』、『カヴァレリア・ルスティカーナ』、『道化師』の6演目とオペラ・アリア・コンサートが演奏された。

第2次公演で大評判となったデル・モナコが、得意とするアンドレア・シェニエ、ラダメス(アイーダ)、カニオ(道化師)の3役を歌った。日本初演となる「アンドレア・シェニエ」は、デル・モナコとテバルディの名コンビが唯一共演することもあり大成功となった。

尚この年の公演からは、現存する映像資料が幸いにもビデオテープにて保存された為、再放送・映像ソフト共に現存するそれらを使っている。

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第4次公演(LIRICA ITALIANA 1963)

要約
視点

1963年10月16日から11月21日まで、『イル・トロヴァトーレ』、『蝶々夫人』、『セビリアの理髪師』、『西部の娘』の4演目とオペラ・アリア・コンサートが演奏された。

当初は『イル・トロヴァトーレ』と『西部の娘』でマリオ・デル・モナコの配役が発表されていたが、直前にキャンセルされた。そのせいもあってか、メディアでは『イル・トロヴァトーレ』の音声が発売されたのみである。第1次から第4次まで登場したシミオナートは、今回が最後の登場となった。

尚、『蝶々夫人』『セビリアの理髪師』は、NHKにとって、VTR車を使った最初のカラー収録を実施、音楽番組の劇場中継としては初のカラー放送として教育テレビで放送された(東京・大阪・名古屋地区のみ)。『セビリアの理髪師』は1964年1月1日に[3]、『蝶々夫人』が同月3日に[4]、共に同年の正月番組として放送された。[5]

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第5次公演(LIRICA ITALIANA 1967)

要約
視点

1967年9月2日から9月23日まで、『ドン・カルロ』、『ランメルモールのルチア』、『仮面舞踏会』、『ラ・ボエーム』の4演目とオペラ・アリア・コンサートが演奏された。

第4次で大いに評判を取ったバスティアニーニを想定した演目であったが、バスティアニーニは1967年1月25日に死去した。 第4次までの歌手はほぼ全員がイタリア人であったが、第5次からはイタリア人以外の歌手が含まれるようになった。

第5次からは大阪での公演が無くなり、東京でのみ開催となった。

NHKのテレビ収録及び放送は、この第5次公演から全面カラー化された[6][注 4]。初日である9月2日公演の『ドン・カルロ』は、公演直後即日にNHK総合のゴールデンタイムにて録画放送された[9][10]


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第6次公演(LIRICA ITALIANA 1971)

要約
視点

1971年9月1日から9月23日まで、『ノルマ』、『トゥーランドット』、『リゴレット』、『ラ・ファヴォリータ』の4演目が上演された。

歌手だけでなく、指揮者についてもイタリア人以外のマタチッチが加わった。

尚この公演時、NHKは総合テレビにて音声多重放送の実験放送を実施していた時期で、同公演に於いては、『リゴレット』がステレオ対応のVTRで収録・放送された(ステレオ放送は東京地区のみ)[11]


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第7次公演(LIRICA ITALIANA 1973)

要約
視点

1973年9月8日から9月29日まで、『アイーダ』、『ファウスト』、『椿姫』、『トスカ』の4演目が上演された。

第7次から会場がNHKホールに変わった。
『ファウスト』は、NHKイタリア歌劇団で唯一イタリア語以外で上演された。

この公演時も、NHKは総合テレビにて音声多重放送の実験放送を実施していた時期で、同公演に於いては、『椿姫』がステレオ対応のVTRで収録・放送された(ステレオ放送は東京地区のみ)[12]

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第8次公演(LIRICA ITALIANA 1976)

要約
視点

1976年9月2日から10月2日まで、『カヴァレリア・ルスティカーナ』、『道化師』、『アドリアーナ・ルクヴルール』、『シモン・ボッカネグラ』の4演目が上演された。

本公演を以てNHKイタリア歌劇団公演は終了し、以降は、1979年ロイヤル・オペラ・ハウス1980年ウィーン国立歌劇場1981年スカラ座など海外歌劇場の引っ越し公演が本格化する。


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脚注

注釈

  1. 同じ演目でも、ステレオで収録した公演日とは違う日に収録したモノラル録音も存在する。
  2. この公演が行われていた時期は、放送用の収録・送出用のVTRは2インチVTRが唯一で、そのビデオテープも非常に高価な為、余程重要でなければ放送終了後消去され使い回ししているのが常識だった。その為、1959年の第2次公演では全てキネレコ記録しか残されていないものの、1961年の第3次公演からはその重要度もありビデオテープにて残されるようになった。
  3. ラジオ第1を左、同第2を右、テレビを中央の定位にして放送。
  4. 1966年3月20日にNHKは奄美群島を除く全国の総合・教育テレビのカラー放送整備を完了[7]。その為、この公演からは奄美群島を除く全国でカラーで観ることができた。ちなみに奄美群島は、沖縄が日本に復帰した1972年5月15日に総合テレビが、同年12月10日に教育テレビが、共に沖縄本島と同時にカラー化している[8]
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出典

外部リンク

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