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ヘッツベリー男爵
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ヘッツベリー男爵(ヘッツベリーだんしゃく、英: Baron Heytesbury)は、イギリスの男爵、貴族、連合王国貴族爵位。外交官ウィリアム・エイコートが1828年に叙されたこと始まる。爵位名『Heytesbury』は「ヘッツベリー(hetsburi)」と読み、由来となったウィルトシャーの地名『Heytesbury』は「ヘイツベリー(haytsburi)」と発音する[1]。
なお、家名『à Court』は「エイコート(aykort)」と発音する[2]。
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歴史
庶民院議員ウィリアム・エイコートは、エイコート家の者で最初に世襲称号を与えられた人物である。ウィリアムは第3代ポートランド公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュ=ベンティンクを長く支持したが、ポートランド公爵が政界中枢に復帰すると、1795年7月4日に(ヘイツベリー・ハウスの)準男爵(Baronet, of Heytesbury House)を与えられた[3][4]。
その息子のウィリアムは外交官として活動し、駐シチリア特命全権公使、駐スペイン特命全権公使、駐ポルトガル特命全権公使、駐露特命全権大使、アイルランド総督を歴任した[5]。彼は駐ポルトガル公使を退任後、外交官としての功績により貴族に列せられる運びとなった[6]。1828年1月23日、連合王国貴族のウィルトシャー州ヘイツベリーのヘッツベリー男爵(Baron Heytesbury, of Heytesbury in the County of Wiltshire)に叙された[7][8][4]。
同名の息子の2代男爵ウィリアムは襲爵前(1833年)に姓を「エイコート=ホームズ」に改めた[9]。彼の妻エリザベス・ウォーズリーの生家は、アイルランド貴族のホームズ男爵家から領地を継いでいたが、ウォーズリー家が途絶えると、夫ウィリアムがその領地を相続した経緯があった[10]。1860年に父が死去して爵位を継ぐと、その年のうちに勅許を得て「ホームズ=エイコート」に再度姓を改めた[11]。
2代男爵の死後、孫ウィリアム(3代男爵)、その弟レオナード(4代男爵)が爵位を継いだ[4]。
その曾孫にあたる7代男爵ジェームズが男爵家現当主を務めている。
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現当主の保有爵位・準男爵位
現当主の第7代ヘッツベリー男爵ジェームズ・ホームズ=エイコートは、以下の爵位・準男爵位を有する[4]。
- 第7代ウィルトシャー州ヘイツベリーのヘッツベリー男爵(7th Baron Heytesbury, of Heytesbury in the County of Wiltshire)
(1828年1月23日の勅許状による連合王国貴族爵位) - 第8代(ヘイツベリー・ハウスの)準男爵(8th Baronet, of Heytesbury House)
(1795年7月4日の勅許状によるグレートブリテン準男爵位)
一覧
(ヘイツベリー・ハウスの)準男爵(1795年)
- 初代準男爵サー・ウィリアム・エイコート(1747-1817)
- 第2代準男爵サー・ウィリアム・エイコート (1779–1860)
ヘッツベリー男爵(1828年)
- 初代ヘッツベリー男爵ウィリアム・エイコート (1779–1860)
- 第2代ヘッツベリー男爵ウィリアム・ヘンリー・アッシュ・エイコート=ホームズ (1809–1891)
- 第3代ヘッツベリー男爵ウィリアム・フレデリック・ホームズ=エイコート(1862–1903)
- 第4代ヘッツベリー男爵レオナード・ホームズ=エイコート (1863–1949)
- 第5代ヘッツベリー男爵ウィリアム・レオナード・フランク・ホームズ=エイコート (1906–1971)
- 第6代ヘッツベリー男爵フランシス・ウィリアム・ホームズ=エイコート (1931–2004)
- 第7代ヘッツベリー男爵ジェームズ・ウィリアム・ホームズ=エイコート (1967 - )
爵位の推定相続人は、現当主の三従兄弟(4代男爵の弟の曽孫)にあたるピーター・マイケル・ハミルトン・ホームズ=エイコート[12]。
脚注
参考文献
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