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ベルジャーンシク

ウクライナの都市 ウィキペディアから

ベルジャーンシク
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ベルジャーンシクウクライナ語: Бердянськ, 発音 [berˈdʲɑnʲsʲk] ( 音声ファイル); ロシア語: Бердянск, 英語: Berdyansk)はウクライナ南東部に位置するザポリージャ州の港湾都市。黒海の北に延びるアゾフ海の北海岸に位置している。市には、サファリパークウォーターパーク、また、泥を用いた健康療法が施されるリゾートなどがある。町の名は、ベルジャーンシク砂嘴ウクライナ語版を形成し、アゾフ海に注ぐベルダ川ウクライナ語版に由来する。

概要 ベルジャーンシク Бердянськ, 位置 ...
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市の名前

最初の名はクトゥール・オグリであったが、1830年ノボ・ノガスクНово-Ногайск)と改名された。これは「新しいノガイの町」[注釈 1]という意味で、当時、現地で人口の多数を占めていたノガイ人にちなんだ名であった。現在の名であるベルジャーンシクは、1841年ニコライ1世の法令により、市の近くを流れるベルダ川にちなんで名づけられた。ちなみに、1939年から1958年までは、ソ連の英雄で飛行家ポリーナ・オシペンコ[2]にちなんで名づけられたオシペンコОсипенко)として知られていた。しかし、現在その名は、近くに位置する彼女が生まれた村の村名となっている。

歴史

この地区には古くから人が居住し、現在の町の建設までこの地方はアーグリヤディーケ・ポーレ、ベールドィなどと呼ばれていた。1780年代にはペトル要塞ロシア帝国によって建設され、クリミア・ハン国からの防備に使用された。1783年にはクリミア・ハン国が滅ぼされ、翌1784年にはこの地域はターヴリダ州に編入された。ターヴリダ州は、1802年ターヴリダ県となった。19世紀はじめ頃には、ロシアは沿アゾフ地方左岸ウクライナでの商業権益の確保のため、アゾフ海沿海に港を建設する必要に迫られた。1827年にペトル要塞の周辺に港湾施設が建設され、周囲に入植が始まった。これが現在の町の基礎となった。

2022年2月24日、ロシアによるウクライナ侵攻が開始。同年2月28日までに市内はロシア軍により占拠された[3]2023年5月21日、ウクライナ軍はベルジャーンシクのロシア軍部隊本部を攻撃したことを発表。ロシア側は、この攻撃をイギリスが供与した長距離ミサイルであるストーム・シャドウによるものと発表している[4]。ミサイルによる攻撃は同年7月12日にも行われ、ロシア軍の第58諸兵科連合軍の司令部が置かれていた市内のホテルを直撃。将官を含む多数の犠牲者が出た[5]

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地理・気候

ケッペンの気候区分では温暖湿潤気候(Cfa)に属する。アゾフ海に面するこの地域では、夏は乾燥した暑い日が続き、冬は比較的暖かい。海水温度クリミアコーカサス黒海沿岸地域よりも高く、5月では22度に達し、6月では30度に達することがある。海にはチョウザメを始め70種類もの生物が生息している。また、海底には多くの軟体動物が生息しており、この海域にはイルカも生息している。

周辺一帯はホシハジロホオジロガモの生息地で、1997年にラムサール条約登録地となった[6]

文化

市には複数の美術館を始め、シュミット博物館、第二次世界大戦博物館、ベルジャーンシク歴史博物館がある。

また市は、年におよそ10回ものフェスティバルを開催している。

モニュメント

市には「アレクサンドル・プーシキン」、「シュミット中尉」、「シュミット中尉の子供達」、「衛星技術者」、「少年の釣り人」、「嫉妬深いカエル」、「ハゼ好きの人」などの珍しいモニュメントがある。また、「欲望の肘掛け椅子」というモニュメントがあり、その肘掛け椅子に座って願い事をすれば、それが叶うといわれている。

著名な出身者

姉妹都市

脚注

外部リンク

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