トップQs
タイムライン
チャット
視点

ホセ・カルデロン

ウィキペディアから

ホセ・カルデロン
Remove ads

ホセ・カルデロンJose Calderon)ことホセ・マヌエル・カルデロン・ボラージョJosé Manuel Calderón Borrallo, 1981年9月28日 - )は、スペインの元プロバスケットボール選手エストレマドゥーラ州バダホス県ビジャヌエバ・デ・ラ・セレーナ出身。ポジションはポイントガード。身長191cm、体重95kg。

概要 クリーブランド・キャバリアーズ, ポジション ...
Thumb
デトロイト・ピストンズでのカルデロン (2013年)
Remove ads

略歴

要約
視点

スペインリーグ

スペインのジュニア代表として様々な国際大会で経験を積んだ後、1999-2000シーズンにはスペインリーグCBルセントゥム・アリカンテでプロデビューを果たした。アリカンテでは2シーズンプレイし、2001-02シーズンにはバロンセスト・フエンラブラダに移籍、さらに翌シーズンにはタウ・セラミカに移籍する。

タウ・セラミカデは飛躍的に出場時間が伸び、移籍1年目の2002-03シーズンには平均17.5得点を記録した。翌シーズンには得点こそ落とすがその他のスタッツは軒並み上昇し、2004-05シーズンには12.4得点3.0アシスト、フィールドゴール成功率は56.7%、スリーポイントシュート成功率は45.5%を記録した。カルデロンの貢献でこのシーズンにチームはユーロリーグトーナメント準決勝まで進出した。

NBA

Thumb
新人年のカルデロンは、ベンチからの出場が殆どだった。

ドラフトにはエントリーしなかったが、トロント・ラプターズの勧誘を受けてNBA入りを決意。ルーキーイヤーとなった2005-06シーズンは64試合に出場し、5.5得点4.5アシストの成績を残した。シーズン終了後、ラプターズは多くの海外出身選手を獲得。カルデロンとはスペイン代表のチームメイトでもあるホルヘ・ガルバホサもラプターズに入団した。

2006-07シーズンはカルデロンは新たに先発PGになったT・J・フォードの控えとして申し分ない活躍をし、ラプターズの4シーズンぶりのプレーオフ出場に貢献した。カルデロン自身は8.7得点5.0アシストの成績だったが、その実力はリーグ最高の控えPGという評価を受けた。

2007-08シーズンはチーム内に故障者が続出、先発PGのフォードも戦線離脱したため、カルデロンはより多くの出場機会を得た。56試合に先発出場、11.2得点8.3アシストの成績を残し、平均アシストはリーグ5位の成績だった。

2008-09シーズンはフォードが移籍したことにより先発PGに固定された。チームはプレイオフに進めなかったが自己最高の12.8得点8.9アシストの成績を残した。特に注目されたのがフリースロー成功率で154本試投して成功が151本。失敗はシーズンを通じて僅か3本、成功率98.1%とNBA史上最高の驚異的な成功率を残した。

2012-2013シーズンメンフィス・グリズリーズルディ・ゲイとのトレードでメンフィス・グリズリーズへ、その直後テイショーン・プリンスオースティン・デイとのトレードでデトロイト・ピストンズへ移籍した[1]

2013年7月11日、ダラス・マーベリックスに移籍した[2]

2014年6月25日、ダラス・マーベリックスからサミュエル・ダレンベアらと共にタイソン・チャンドラーレイモンド・フェルトン、計6名が絡むトレードでニューヨーク・ニックスへ移籍した[3]

2016年6月22日、デリック・ローズらが絡んだ大型トレードで、シカゴ・ブルズ[4]、さらにロサンゼルス・レイカーズへと移籍[5] On December 5, 2016, he was ruled out for two to four weeks with a right hamstring strain.[6]。2017年2月27日にレイカーズを解雇[7]。3月に入りアトランタ・ホークスと契約した。

2017年7月1日、クリーブランド・キャバリアーズと1年契約を結んだ。

現役引退後

2022年からクリーブランド・キャバリアーズのスペシャルアドバイザーを務めている[8]

代表歴

スペインは近年バスケットボール選手の育成に力を入れ、パウ・ガソルホルヘ・ガルバホサフアン・カルロス・ナバーロなどの優秀な選手を輩出。この強化計画は2006年世界選手権の優勝という形で実を結んだ。彼らは言わばスペインバスケットボールの黄金世代であり、カルデロンもその黄金世代の一員である。

ジュニア時代は1998年ミュンヘンジュニア国際大会、ヴァルナジュニア欧州選手権優勝で優勝。2001年日本で開催されたヤングメン世界選手権では5位に入った。

2002年にはスペイン代表に招集され、この年のインディアナポリス世界選手権では5位。翌2003年には欧州選手権で準優勝を飾った。アテネオリンピックではキャプテンとして出場した。

そして2006年、日本で開催された世界選手権ではガソル、ガルバホサらと共にスペインを初優勝に導いた。ギリシャ代表を降した決勝では17得点をあげた。

2008年北京オリンピックで銀メダルを獲得した。

Remove ads

個人成績

さらに見る 略称説明 ...

NBA

レギュラーシーズン

さらに見る シーズン, チーム ...

プレーオフ

さらに見る シーズン, チーム ...

EuroLeague

さらに見る シーズン, チーム ...
Remove ads

プレイスタイル

堅実なゲームメークが売りの司令塔。その姿勢は数字にも表れており、フィールドゴール成功率、スリーポイントシュート成功率は共に高水準を維持している。2007-08シーズンに記録した平均8.1アシストに対する平均1.5ターンオーバー(アシスト/ターンオーバー比率5.4)は特筆に価する。

スリーポイントシュートを成功させた時に、両手の指で○を作るパフォーマンスがファンの人気を呼んでいる。

脚注

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads