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ボリスラフ・ミハイロフ
ブルガリアのサッカー選手 ウィキペディアから
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ボリスラフ・ミハイロフ(Борислав Михайлов、1963年2月12日 - )は、ブルガリア、ソフィア出身の元同国代表サッカー選手。現役時代のポジションはGK。
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選手経歴
ブルガリアの首都ソフィアで生まれ、1981年にソフィアを本拠地とするレフスキ・ソフィアへ入団。ブルガリアリーグ、ブルガリアカップをそれぞれ3度制したほか、1986年にはミハイロフはブルガリア人年間最優秀選手にも選ばれた。その後も国内外のいくつかのクラブに所属し、1995年にはシャカ・ヒスロップの後釜としてクラブ史上最高額となる8万ポンドの移籍金でレディングFCに加入した。
ブルガリア代表としては1983年5月4日に行われたキューバ代表戦でデビュー[1]。1990年からの6年間、1994 FIFAワールドカップやUEFA EURO '96などの大会で代表キャプテンを務め、1998年9月5日のアルジェリア代表戦が最後の試合出場となった[1]。代表102キャップは同国の最多出場記録であったが[2]、2011年にスティリアン・ペトロフによって更新された[3]。
引退後
2005年からはブルガリアサッカー連合の会長を務め[2]、2011年からはUEFA実行委員会のメンバーとなった[4]。
2019年10月14日、ホームゲームとして行われたUEFA EURO 2020予選のイングランド代表戦において、サポーターによる人種差別事件が発生し、2度に渡り試合が中断された[4]。この事件を受けて首相のボイコ・ボリソフはサポーターの行動を非難するとともに、ミハイロフの即時辞任を勧告すると、翌15日に会長職を辞任した[4]。
人物
妻は新体操の選手であったマリア・ペトロバ。息子のニコライ・ミハイロフもサッカー選手であり、イングランドのリヴァプールFCや、オランダのFCトゥウェンテなどに所属している[2]。
選手時代は頭頂部の禿げ上がった頭が特徴だったが、フランス2部リーグのFCミュルーズに所属していた当時、1万ポンド以上を費やして頭髪の植毛を行っている[5]。
代表歴
出場大会
試合数
- 国際Aマッチ 98試合 0得点(1983年-1998年)[6]
脚注
外部リンク
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