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マイ・スウィート・ロード
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「マイ・スウィート・ロード」(My Sweet Lord)は、ジョージ・ハリスンが1970年に発表した楽曲。イギリスと米国で1位を記録した。
『ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500』において、460位にランクイン[3]。
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解説
ハリスンが1969年に全米トップ20ヒットを記録したエドウィン・ホーキンス・シンガーズによる18世紀のゴスペルナンバー「オー・ハッピー・デイ」にインスパイアされて書いた楽曲。元来は当時ビートルズが営んでいたレーベル「アップル・レコード」に在籍していたビリー・プレストンに提供した作品である。プレストンによるオリジナルのバージョンは、彼とハリスンが共同プロデュースを手がけた1970年9月発表のアルバム『エンカレッジング・ワーズ』に収録されている。
歌詞は当時クリシュナに大きく傾倒していた彼の神への信仰心を歌ったもので、楽曲は同じようなフレーズを繰り返す構成となっている。ハリスンのバージョンは同年の11月23日に自身のアルバム『オール・シングス・マスト・パス』からの先行シングルとしてアメリカで発売され、1971年1月にかけて世界各国でシングル発売された。日本では同年1月10日に東芝音楽工業からリリースされた。アメリカや本国イギリスでは、元ビートルズのメンバーのシングルとしては初となるヒットチャート1位を獲得。『ビルボード』、『キャッシュボックス』ともに4週連続第1位を獲得している。さらに、アメリカではミリオン・セラーを記録し、イギリスでは1971年度の年間チャートでも1位を記録する大きな商業的成功を収めた。日本でも20万枚以上を売り上げる大ヒットを記録し、オリコンのシングルチャートで最高4位まで上昇している。カップリングには、同じくアルバム収録曲の「イズント・イット・ア・ピティー(イギリス盤のみ「美しき人生」が所収)」が収録されていたが『キャッシュボックス』では、単独で最高位64位を記録している。
2001年に発売された『オール・シングス・マスト・パス』のデジタル・リマスターには、同じオケをもとに新たにヴォーカルや効果音、楽器などを録音したリメイクバージョンがボーナス・トラックとして追加収録された。同年11月にハリスンが肺癌と脳腫瘍で死去した直後には、再録音をカップリングに収録した追悼シングルが各国で再発売され、イギリスでは31年ぶりにヒットチャートで1位を記録した。日本でも東芝EMIから同内容のCDが発売されたが、その際にはCDの帯に書かれていた曲名のスペルが間違っていた(「Lord」が「Road」と表記されていた)ため、初回生産分が店頭から回収されるというトラブルも起こっている。
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著作権侵害訴訟
1971年2月10日、ハリスンは本作がシフォンズの大ヒット曲「いかした彼 (シーズ・ソー・ファイン)」に酷似しているとして、著作権を所有していたブライト・チューンズ・ミュージックから著作権侵害で訴えられた[4][注釈 1]。
ヒット中から「いかした彼」との類似は噂となっており、3月6日発売の『ビルボード』誌でも取り上げられた。さらに5月にカントリー歌手のジョディ・ミラーが本作と同じような編曲[注釈 2]によってカヴァーした同曲が発表されるに至って、大きな話題となってしまった。
当初、代理人を務めていたアラン・クラインは、経営難に陥っていたブライトそのものを買収して訴訟を終了させようと考えていた。しかし、買収交渉がなかなか進まないうちに、ハリスンやジョン・レノン、リンゴ・スターとのマネージメント契約が終了し、アップル・コアを去った。その後は本作が生み出す印税の分配割合を中心に和解交渉が進められたが、ブライト側が本作の著作権放棄要求を譲らなかったため交渉は不調に終わり、裁判が行われることになった[4]。ブライト側はその後の裁判が有利に働くことを狙い、シフォンズによってカヴァーされた本作を発売した。
1976年2月になってようやく審理が始まった。判決は同年の9月に下され、作曲家としても知られるリチャード・オーエン判事は「潜在意識の内における盗用」を認め、損害賠償額を160万ドルと認定した。その後、和解協議が行われたが、なかなか合意に至らなかった。
1978年4月13日、アップル・コアを去った後も水面下でブライト側と交渉をしていたクラインは、58万7000ドルで「いかした彼」の著作権を買収し、訴訟請求の当事者となった。しかし、1981年2月19日、裁判所はクラインの不誠実な行為が和解交渉を妨げたことを理由に、58万7000ドルとこれまでの利息の支払いをもってハリスン側に「いかした彼」の北米での著作権を譲渡することをクライン側に命じた[4][5][注釈 3]。最終的に全ての手続きが終結したのは1998年3月だった[6][7]。
後に「暫くの間は、誰かの歌と同じようなメロディの曲ができたらどうしようって考えて、ギターにもピアノにも触れなかったね」と、インタビューの中でハリスンは語ったことがある。そんな彼も、一方では自らの楽曲のプロモーション・ビデオの中でこの裁判沙汰を茶化すユーモアを見せた。また、1980年に出版された自伝の中では酷似するようなメロディのままで発表してしまったことについて「後悔はしてないよ」と述べている。
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カヴァー
- ビリー・プレストン - アルバム『エンカレッジング・ワーズ』(1970年)に収録。
- サミュエル・ホイ 許冠傑 (1970年)
- アンディ・ウィリアムス - アルバム『Love Story』(1971年)に収録[8]。
- ジョニー・マティス - アルバム『Love Story』に収録[9]。
- エドウィン・スター - アルバム『Involved』(1971年)に収録[10]。
- マリオン・ウィリアムズ - アルバム『Standing Here Wondering Which Way to Go』(1971年)に収録。
- ニーナ・シモン - アルバム『エマージェンシー・ワード』(1972年)に、「トゥデイ・イズ・ア・キラー」とのメドレーとして歌ったライヴ録音を収録[11]。
- リッチー・ヘブンス - アルバム『Richie Havens on Stage』(1972年)に収録。
- フリオ・イグレシアス - アルバム『エル・アモール』(1975年)に収録[12]。
- ボーイ・ジョージ - コンピレーション・アルバム『Ruby Trax』(1992年)に収録。
- クラウス・フォアマン - アルバム『A Sideman's Journey』(2009年)に、ボニー・ブラムレットの歌唱によるカヴァーを収録[13]。
脚注
参考文献
関連項目
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