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マスター・キイ

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マスター・キイ』(英語: The Master Key, 「主鍵」の意)は、1914年(大正3年)製作・公開、ユニヴァーサル・フィルム・マニュファクチャリング・カンパニー(現在のユニバーサル・ピクチャーズ)製作・配給によるアメリカ合衆国サイレント映画シリアル・フィルムである[1]。日本で最初に公開された連続活劇として知られる[2][3]

概要 マスター・キイ, 監督 ...
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略歴・概要

1914年(大正3年)、ユニヴァーサル・フィルム・マニュファクチャリング・カンパニーが同社の最初のシリアル・フィルムであるフランシス・フォード監督の『國寶』(別題『ルシル・ラヴ』、Lucille Love, Girl of Mystery [4])に続いて製作・配給した、同社第2作のシリアル作品である。原作はジョン・フレミング・ウィルソンによる同名の新聞連載小説で、本作の毎週の公開に連動してメディアミックス的に連載され、後に単行本として出版された際には、本作のスチル写真が掲載された[1]。本作は、同年11月16日に全米で封切られた[1]

監督・主演のロバート・Z・レナード、主演女優のエラ・ホールのほか、のちに映画監督となるルパート・ジュリアンや、彼ら同様、1916年(大正5年)にユニヴァーサル傘下で設立されるブルーバード映画でスター女優となるクレオ・マディソンも本作に出演している[1]

日本では、1915年(大正4年)9月30日浅草公園六区電気館を皮切りに毎週連続で公開された[2]。配給は、同年7月に東京市京橋区南伝馬町3丁目14番地(現在の東京都中央区京橋3丁目)に設立された播磨ユニヴァーサル商会[5]が行なった。同社は同作に引き続き、フランシス・フォード監督の新作シリアル『名金』を同年10月10日に浅草公園六区の帝国館で封切り、この2作は大ヒットとなった[2]。ユニヴァーサルのシリアル第1作『國寶』も、この2作の公開後の翌1916年7月に公開された[6]

本作の原版・上映用プリント等は既に散逸しているが、米国議会図書館フィルム・アーカイヴに第5話だけが保存されている[7]

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