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マティアス・ザマー

ドイツのサッカー選手 ウィキペディアから

マティアス・ザマー
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マティアス・ザマーMatthias Sammer, 1967年9月5日 - )は、ドイツ(旧東ドイツ)・ドレスデン出身の元サッカー選手。2012年7月から2016年7月までFCバイエルン・ミュンヘンの取締役を務めた。選手時代のポジションはミッドフィールダーディフェンダー

概要 マティアス・ザマー, 名前 ...
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経歴

選手時代

1985年に地元のクラブであるディナモ・ドレスデンでキャリアをスタート。当時東ドイツの支配下にあったため、強制的にシュタージフェリックス・ジェルジンスキー衛兵連隊に所属していた[1]

1990年VfBシュトゥットガルトへ移籍すると。1992年には攻守にわたる活躍が認められて、セリエAインテルへ移籍、ユヴェントスFC相手にゴールを決めるなど、低調なチーム内にあってシャリモフと共に奮戦し[2]、11試合4ゴールと結果を残すが、積極的に最前線まで顔を出すプレーはイタリアメディアから批判を浴び、イタリアのメンタリティーに合わず[3]、シーズン途中にボルシア・ドルトムントへ移籍[4]、移籍後はオットマー・ヒッツフェルトによってこれまでのMFからリベロへとコンバートされると[3]2000年の引退までチーム中心としてプレーし、1994-95シーズンにはチーム創設後初のリーグ優勝を果たし、1995-96シーズンにもリーグ優勝を果たした。また代表では欧州選手権優勝に貢献した活躍から、欧州最優秀選手賞(バロンドール)を獲得した[5](前年度は第9位[6])。1996-97シーズンにはボルシア・ドルトムントUEFAチャンピオンズリーグ初優勝に貢献した。

ドイツ代表としては東ドイツ出身者として初選出を果たし、UEFA欧州選手権1996ではDFながら、グループステージのロシア戦、準々決勝のクロアチア戦でゴールを決めるなど、攻守にドイツの優勝に貢献、大会最優秀選手に選ばれた[7]

膝の故障に苦しみ、引退直前の2シーズンはほとんど試合に出ることができなかった。

引退後

引退後は指導者としての道を歩み、ボルシア・ドルトムントVfBシュトゥットガルトの監督を務め、2006年のドイツサッカー協会のスポーツディレクター就任を経て、2012年バイエルン・ミュンヘンの取締役に就任。2016年7月に同クラブを退団した。ボルシア・ドルトムントの監督としてはブンデスリーガ優勝も果たした。

2017年以降はテレビ局のゲストコメンテーターとして活動している。

2018年4月、ボルシア・ドルトムントの顧問に就任した。

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フォアリベロ

一般にリベロは攻撃の組み立てに参加しつつ試合をコントロールするセンターバックではあるが、ザマーはそれに加えDFラインから前線に顔を出すシャドーストライカーの仕事もこなすなど、フォアリベロと呼ばれた[8]。ドルトムントではジュリオ・セザールミヒャエル・ツォルク と能力の高いCBとカバーリングに優れた守備的MFに恵まれ、タイミングの良いオーバーラップで、たびたび前線に飛び出してのゲームメークや得点を挙げた[8]。 攻撃的な選手が選ばれる傾向があるバロンドールUEFA欧州選手権1996の最優秀選手賞にザマーが選出されたのは、このプレースタイルに依るところが大きい。

所属クラブ

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 25試合 6得点(1986年-1990年、東ドイツ)[9]
  • 国際Aマッチ 51試合 8得点(1990年-1997年、ドイツ)[9]
さらに見る 東ドイツ代表, 国際Aマッチ ...
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指導歴

獲得タイトル

代表

クラブ

個人タイトル

監督として

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脚注

外部リンク

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