トップQs
タイムライン
チャット
視点

マリアノ・トリポジ

アルゼンチンのサッカー選手 ウィキペディアから

Remove ads

マリアノ・セバスティアン・トリポジ(Mariano Sebastian Tripodi、1987年7月3日 - )はアルゼンチンブエノスアイレス出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード

概要 マリアノ・トリポジ, 名前 ...
Remove ads

経歴

ボカ・ジュニアーズのユース出身で、ボカ育成年代のゴール数最高記録を打ち立てた[1]。ニックネームとなっている「ライオン」はこの頃に監督からつけられた[1]。プロ契約後ドイツへ渡り、2006年に1.FCケルンでデビューを飾る。しかしトップチーム(当時ケルンはブンデスリーガ2部)での出場は1試合のみで、主に3部リーグに所属するセカンドチームでのプレーに終わった。トップチームでの唯一の出場となった2006年12月4日のMSVデュースブルク戦では、後半ロスタイムにヘディングで得点を記録している[2]。このシーズン限りでケルンを退団。アルゼンチンへ帰国し、2部リーグに所属するCAサン・マルティンスペイン語版へ入団した[3]

2008年2月7日、ブラジルサントスと契約を結んだ[4]。サントス在籍時にはリベルタドーレスカップに出場し、グループリーグのククタ・デポルティーボFC戦で国際大会初得点を記録している[5]。その後2008年8月にはECヴィトーリアに、2009年3月にはアトレチコ・ミネイロに、いずれもレンタルで放出された[6][7]。2009年8月にはイングランドリーズ・ユナイテッドAFCのトライアルを受けるが、入団には至らなかった[8]。約半年後の2010年1月にCAメトロポリターノと契約[9]。2010年10月には再びアルゼンチンへ戻り、アルセナルFCと1年契約を結んだ[10]

2010年12月25日、日本栃木SCとの契約が発表された[11]。イングランドを含めると彼がプレーする国はこれで5カ国目となり、入団直後のインタビューでは母語のスペイン語の他にポルトガル語英語を完璧に使えると話している[1]。栃木ではスペイン語通訳がいなかったため、ほかのブラジル人選手とともにポルトガル語通訳が担当した[12]。6月7日、契約解除が発表された[13]

2011年6月12日、FCファドゥーツに移籍した[14]

2013年、カンピオナート・ブラジレイロ・セリエCSERカシアス・ド・スルに移籍。

2014年、リオ・ブランコSCポルトガル語版に移籍。

2015年、メトロポリターノに復帰。

2015年04月23日、ジョインヴィレECへ移籍[15]

2016年2月23日、ジエゴ・ヴィアナポルトガル語版と共にECサント・アンドレへ移籍[16]

Remove ads

タイトル

ECサント・アンドレ

個人成績

2014年7月4日現在[17][1]

さらに見る クラブ成績, リーグ ...

脚注

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads