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マンガリア
ルーマニアの都市 ウィキペディアから
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マンガリア (ルーマニア語: Mangalia, ルーマニア語発音: [maŋˈɡali.a], トルコ語: Mankalya) は、ルーマニア、北ドブロジャのコンスタンツァ県南東部にある都市である。黒海に面する港町。
かつてはギリシャ語の「カラティス (Κάλλατις, Καλλατίς)」と呼ばれた。また、「パンガリア (Pangalia)」、「パングリカラ (Panglicara)」、「トミソヴァラ (Tomisovara)」という旧名もある。町内には、カプ・アウロラ、ジュピテル、ネプトゥン、オリンプ、サトゥルヌ、ベヌスといったビーチリゾートが存在する。
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歴史
7世紀中頃まで、町の名称はギリシャ語でカラティスと呼ばれていた。10世紀に町が再建され、13世紀にはパンガリアへと改名された[3]。その後、ヴラフ人はトミソヴァラ[4]、ギリシャ人はパングリカラという名前をつけていたが[4]、16世紀からは現在同様のマンガリアとなっている。
ギリシャの植民地であるカラティスは、紀元前6世紀にヘラクレア・ポンティカが建設した[5]。紀元前350年頃には、銀貨の鋳造が始まった。紀元前72年、カラティスはローマの将軍、ルキウス・リキニウス・ルクッルスに征服され、ローマの属州モエシアの下に置かれた。その後は2世紀にかけて、防衛のための要塞が建設され、ローマの皇帝、セプティミウス・セウェルスやカラカラのもとで貨幣の鋳造は続けられた。3世紀には何度かの侵攻に悩まされるが、4世紀には復活し、重要な貿易の中心地、港町としての地位を取り戻した[6]。7世紀から11世紀までは、第一次ブルガリア帝国の支配下に置かれた。
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地理と気候
マンガリアは、北緯43度49分、東経28度35分に位置し、標高は10m、コンスタンツァの44kmほど南にある。緯度はフランスのリゾート、ニースと同等で、黒海沿岸におけるルーマニア最南端のリゾート地の1つである。
温暖な海洋性気候を特徴とし、年間の平均気温は11℃とルーマニアでは最も高い。夏は暑く(7月の気温は平均21℃以上)、冬は温暖(1月の平均気温は1℃と氷点下にならない)で、国内ではバイレ・ヘルクラネに次いで2番目に暖かい。春は早く訪れるが涼しく、一方で秋は長く暖かい。夏は曇りが少なく、月間の25日ほどは晴れており、1日の日照時間は10時間から12時間ほどである。年間降水量は400mmほどと少ない。
夏は海風が強い。黒海の海水には豊富な鉱物が含まれ、自然治癒に向く。北部のサトゥルヌとベヌスの間にある泉からは、硫黄を含んだ泥が湧き出ており、これは250年間持続すると予測されている。
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人口動態
2011年の国勢調査によれば、住民の90.6%がルーマニア人、4.4%がトルコ人、3.6%がタタール人、0.5%がロマ、0.3%がリポヴァン人、0.6%がそれ以外の民族に属する。また信仰する宗教は、89.5%はルーマニア正教会、8.3%がイスラム教、0.9%がカトリック教会、0.3%がペンテコステ派、残りは1%であった。
観光名所
- カラティス・フェスティバル - ルーマニア最大の夏のイベントの開催地となっている
- スキタイの墓 - 1959年に発見された。ルーマニアでは初となる、ギリシャ語で書かれたパピルスの破片が見つかった
- 墓地の焼却施設 - 紀元前4世紀〜2世紀のカラティス要塞に置かれた墓地の遺跡
- カラティス要塞跡 - 紀元前6世紀
- イスマハン・スルタン・モスク - 16世紀
- 考古学博物館 - ヘレニズム時代のアンフォラや彫刻、石棺の破片など、豊富なコレクションを所蔵する
- マンガリア港
ギャラリー
- ホテルプレジデントの地下には、4世紀〜7世紀のローマ=ビザンチン帝国時代における、カラティスの遺構が展示されている
- イスマハン・スルタン・モスク
- マリーナ
- 港の夜景
- 灯台
出身人物
姉妹都市
エワイユ(ベルギー)
バルチク(ブルガリア)
バンスカー・ビストリツァ(スロヴァキア)
ビブロス(レバノン)
シャルルヴィル=メジエール(フランス)
ゲネラル・トシェヴォ(ブルガリア)
グリーンポート(アメリカ合衆国)
カルミエル(イスラエル)
ラブリオ(ギリシャ)
パレ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)
ポルト・ヴィーロ(イタリア)
サンタ・セヴェリーナ(イタリア)
ストルガ(北マケドニア)[8]
出典
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