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マルク・ガソル

スペインのバスケットボール選手 (1985 - ) ウィキペディアから

マルク・ガソル
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マルク・ガソル・サエスMarc Gasol i Sáez , 1985年1月29日 - )は、スペインカタルーニャ州バルセロナ出身の元プロバスケットボール選手。NBAメンフィス・グリズリーズなどで活躍し、現在はバスケット・ジローナのオーナーと社長を兼任している。ポジションはセンター。元NBA選手のパウ・ガソルの実弟である[1]

概要 バスケット・ジローナ, ポジション ...
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家族・生い立ち

両親と兄と弟の5人家族。マルクは次男にあたる。

看護師の父親(Agustí Gasol/アグスティー・ガソル)と、医師の母親(Marisa Sáez/マリサ・サエス)の次男として生まれる。両親は共にスペイン国内プロリーグの下部組織でプレー経験のある元・バスケットボール選手。

4歳年上の長男(パウ・ガソル)も、同じくプロバスケットボール選手でスペイン代表

そして、1994年には3男となるAdrià Gasol(アドリアー・ガソル)が誕生。3男はテネシー州メンフィスの高校を経て現在はUCLAに通っており、2人の兄と同じくプロバスケ選手への道を目指している。

スペイン時代

下部組織時代・アメリカ留学

兄のパウも所属した、生まれ故郷のサン・ボイ・ダ・リュブラガートのバスケチーム(Cantera Basquet Llor Sant Boi)に自らも入団し、バスケットボールを始める。その後、兄と全く同じように地元近くの名門FCバルセロナのユースチームにスカウトされ、入団。

2001年、兄のパウ・ガソルNBAにドラフトされ、メンフィス・グリズリーズに入団すると、アメリカでの生活に不慣れなパウの為に家族皆で渡米。この際、マークはメンフィスにあるローザン高校に編入。そこのバスケットボール部で活躍する。

2003年に卒業すると、母国スペインに帰国。FCバルセロナのジュニアチームに復帰。

その後間もなくトップチームに昇格し、プロデビューを果たす。

プロデビュー

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CBジローナ在籍時のマルク

2003年に、兄と同じFCバルセロナでプロデビューすると、その後2年間同チームでプレー。

2006年スペインA代表に選出され代表デビュー。この年日本で開催された世界選手権にスペインA代表として参加。兄(パウ・ガソル)とともに優勝に貢献した。そして次第にNBAのスカウトの目に留まるようになった。

2006-2007シーズンは、同じリーガACBに所属するCBジローナへレンタル移籍。シーズン終了後、2007年のNBAドラフトにエントリーすると、ロサンゼルス・レイカーズから、2巡目全体48位で指名されるが、所属チームとの契約が残っている為、このシーズン終了後のNBA入りは見送った。

2007年、北京オリンピックの大陸予選を兼ねた2年に1度のバスケの祭典ユーロバスケットが母国スペインで開催され、2006年に世界選手権を制覇した時と全く同じメンバー、監督でスペイン初の優勝を狙うが、決勝戦でキリレンコ率いるロシア代表に敗れ涙の銀メダル。

CBジローナでの2年目となった2007-08シーズンは獅子奮迅の活躍でリーガACBシーズンMVP英語版を獲得。

2008年、引き続きスペインA代表に兄(パウ・ガソル)と共に選出され、同年に行われた北京オリンピックに出場。決勝戦でアメリカ代表に敗れるものの見事銀メダル獲得。

その後、自らの保有権を持つメンフィス・グリズリーズ兄パウのトレードによりクワミ・ブラウンジャバリス・クリッテントンアーロン・マッキーの契約、ドラフト1巡目指名権×2等と交換でメンフィス・グリズリーズに交渉権が移り、3年972万ドルで契約し、入団。

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NBA

要約
視点

メンフィス・グリズリーズ

NBAルーキーシーズンとなった2008-09シーズンは、82試合にフル出場し、平均11点、7.4リバウンドを記録。オールルーキー2ndチームに選出された。 2009-10シーズンからは、ザック・ランドルフが加入。NBA屈指のフロントラインが形成された。自身は13試合に欠場したものの、平均14.6点、9.3リバウンドと成績を伸ばし、チームも前シーズンの24勝58敗から40勝42敗と盛り返した。 2010-11シーズンは、ガソル自身の成績は落ちたものの、チームは46勝36敗の成績を残し、ウェスタンカンファレンス8位で2006年以来のプレーオフ進出を果たし、ファーストラウンドで第1シードのサンアントニオ・スパーズを4勝2敗で下すという快挙を成し遂げた。

2011年オフに制限付きFAとなったが、NBAがロックアウトに入ったために、FA交渉は先伸ばしになる。 そして、ロックアウトが解除された12月、ヒューストン・ロケッツが4年5800万ドルの巨額契約を提示し、ガソルはロケッツのオファーシートにサインしたが、すかさずメンフィス・グリズリーズが同額の契約を提示し、グリズリーズ残留が決まった。 迎えた2011-12シーズンは、自身初のNBAオールスターゲームに出場した。

2012-13シーズンは、オールNBA2ndチーム、オールディフェンシブ2ndチームに選出され、NBA最優秀守備選手賞も受賞するなど、自己最高のシーズンを送った。

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メンフィス・グリズリーズでのガソル (2013年)

2014-15シーズンは、オフに減量してシーズンに挑み、攻守両面で獅子奮迅の活躍を見せ、チームを牽引。当シーズンの活躍もあり、2015年NBAオールスターゲームのファン投票では、ウエスタンカンファレンスのフォワード部門で2位に入り、2012年以来のオールスターゲーム出場でスターターを務めることが決定。なお、パウ・ガソルもイースタンカンファレンスのフォワード部門で2位に入ったために、兄弟でオールスターゲームでスターターで出場し、パウと共に試合前に記念のティップオフを行った。そしてオフには5年1億1000万ドルという巨額契約で再契約した[2][3]

大型契約を締結し迎えた2015-16シーズンは、12月1日のニューオーリンズ・ペリカンズ戦で、自己最多の38得点を記録した[4]。しかし、2016年2月9日のポートランド・トレイルブレイザーズ戦で、右足を骨折。全治4~6ヶ月と診断され、残り全試合を欠場することになり[5]、同年のリオデジャネイロオリンピックも欠場を余儀無くされた。

2016-17シーズンは、前述の重傷も完治しグリズリーズを牽引。2017年1月25日のトロント・ラプターズ戦では、自己最高の42得点を記録した[6]。同シーズンは自身3度目のNBAオールスターゲームにも出場。4月22日のプレーオフ1stラウンドのサンアントニオ・スパーズ戦の第4戦では、延長第1クォーター残り数秒の場面で、決勝ジャンプシュートを決めた[7]

2017-18シーズンは、2017年10月21日のゴールデンステート・ウォリアーズ戦で34得点14リバウンドを記録し、前シーズンチャンピオンチームからの勝利の原動力となった[8]。2017年11月24日のデンバー・ナゲッツ戦でキャリアハイの14アシストを決めた[9]。2018-19シーズン、2019年1月23日、シャーロット戦ではキャリアハイとなる17リバウンドを記録した[9]

トロント・ラプターズ

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トロント・ラプターズでのガソル (2019年)

2019年2月7日、ヨナス・バランチュナスC・J・マイルズデロン・ライト、2024年のドラフト2巡目指名権との交換でトロント・ラプターズに移籍[10]。プレーオフでチームはNBAファイナルまで勝ち進み、ゴールデンステート・ウォリアーズとのファイナルでは、第1戦で20得点、第5戦でも17得点を挙げるなど、チームの勝利に貢献、優勝を決めた第6戦では僅か3得点に終わるも、9つのリバウンドを記録[11]、NBAチャンピオンを獲得した。兄のパウ・ガソル2009年2010年にNBAチャンピオンを獲得しており、NBA初の兄弟が優勝を経験したこととなった[12]。チャンピオンリングの裏側には「GRIT&GLIND」とメンフィスのチームスローガンが彫られている。

ロサンゼルス・レイカーズ

2020年11月24日ロサンゼルス・レイカーズと2年契約を結んだ[13]。しかし、全ての成績で自己最低の出来に終始し、シーズン終盤にアンドレ・ドラモンドが加入して以降はベンチが定位置になってしまった。

母国リーグに復帰

2021年9月10日に王哲林の交渉権と将来のドラフト2巡目指名権とのトレードでグリズリーズに放出され[14]、15日に解雇された[15]。以降リーガACB復帰の噂が浮上するも、古巣のFCバルセロナクラブの深刻な財政難の関係で契約する事が出来ず、実現には至らず[16][17]。11月には自身がオーナーを務めるバスケット・ジローナに復帰する見通しだと報じられた[18]。その後同月25日にバスケット・ジローナで現役続行することが発表[19][20][21]。12月3日のCBペーニャス・ウエスカ戦で復帰戦に出場。19得点16リバウンドを記録し、81-47で勝利し、復帰戦を飾った[22]

現役引退へ

2024年1月31日に現役引退を発表[23][24]。これを受けてグリズリーズは、2月1日にガソルがグリズリーズ時代に着用していた背番号『33』を永久欠番に認定すると発表した[25]

プレースタイル

ポストプレーではNBA屈指の力強さを誇り、さらにパスセンスにも優れている。2013年には最優秀守備選手賞を受賞しているなどディフェンダーとしても優れた実力を発揮している。

個人成績

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レギュラーシーズン

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プレーオフ

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脚注

関連項目

外部リンク

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