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マーク・リッチ

ベルギー出身でアメリカの起業家 (1934-2013) ウィキペディアから

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マーク・リッチ(Marc Rich, 1934年12月18日 - 2013年6月26日)は、ベルギー出身の起業家相場師スイスの商品取引大手であるグレンコア社の創設者。

概要 マーク・リッチMarc Rich, 生誕 ...

来歴

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2001年の恩赦令文書(PDF)(英語)

ベルギーのアントウェルペンにて両親はユダヤ人の家庭に生まれる[2][3][4]。出生名は Marc David Reich1941年ナチを避けて一家で渡米。高校卒業後、ニューヨーク大学に進学するが、一学期で退学。すぐにディーラーとして働き始め、貴金属取引の分野で頭角を現す。

1974年、グレンコア社の前身である商品取引会社マーク・リッチを共同創業[5]パフラヴィー朝時代のイランからイスラエルに必要量の石油を極秘にパイプライン輸送で供給する合弁事業を何年にもわたって成功させた[1]イラン・イスラム革命後のイランとイスラエルとの間の非公式仲介者としても活動し、公式にはイスラエルに敵対的だったイランの最高指導者ルーホッラー・ホメイニーと友好関係にあり[6]イスラエル諜報特務庁(モサド)の活動も財政面で支援した[1]。貴金属取引の経験で培った様々な独裁国家独裁者との繋がりを使い[7]アパルトヘイト政策のために経済制裁を受けていた南アフリカ共和国へ総額20億ドル(約1780億円) 相当の石油を販売し[1]キューバフィデル・カストロナイジェリアサニ・アバチャチリアウグスト・ピノチェトリビアムアンマル・アル=カッザーフィールーマニアニコラエ・チャウシェスク中華人民共和国ソビエト連邦と取引関係を持った[8][9][10][11]

1970年代オイルショックの際には巧妙な原油取引により巨億の富を手にするも、パートナーのピンカス・グリーン英語版と共謀して脱税イランとの不正な石油取引を行った疑いで、1983年にアメリカの検察当局から起訴される。当時、リッチはスイスにいたが、連邦捜査局(FBI)の10大指名手配犯リストに名前が載ったためにアメリカに帰ることは事実上不可能になった。1984年には欠席裁判で有罪判決を受けた。

2001年1月20日、任期終了数時間前のクリントン大統領から恩赦が与えられた[12]。しかし、これに先立ってリッチの元妻デニス・アイゼンバーグ・リッチ英語版民主党に総額100万ドル以上の献金を行っていたため、一部のメディアで「金で恩赦を買ったのではないか」と物議をかもした。クリントンの決定の裏側には、イスラエル政府からの嘆願や、リッチが献金していた名誉毀損防止同盟からの圧力も存在したと伝えられている。リッチは赦免を獲得するや否や、石油・食料交換計画スキャンダルに絡む事業でイラクサッダーム・フセイン政権と関わった[13]

2013年6月26日、スイスルツェルンの自宅近くの病院にて死去[5]

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私生活

長年に渡りスイスのツークで暮らした後、同国ルツェルン州メッゲンドイツ語版市に居を移した。彼の邸宅(通称"La villa rose")はルツェルン湖の湖畔にあり、その周辺では厳重にプライバシーが守られている。スイスのほか、スペインにもスキーリゾートを所有していた。また、絵画収集を趣味とし、モネルノワールピカソの作品に囲まれて生活していた。

メディアに素顔をあらわすことは滅多にないが、一度だけ米国のテレビクルーに捕まってインタビューに応じたことがある。また、リッチの半生を描いたノンフィクションとして『メタル・トレーダー 地球を売買する男たち』(新潮文庫[14]、評伝に『キング オブ オイル』[15]がある。

参照

関連項目

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