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マーク V 戦車
イギリスの戦車 ウィキペディアから
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マーク V 戦車(マーク 5 せんしゃ、英語: Mark V tank)は、イギリスが開発した世界初の戦車であるマーク Iの改良型であるマーク IVの問題点を改善・改良した戦車である。
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概要
マークIから続く菱形戦車の集大成で、第一次世界大戦に投入された量産型では最終型になる。
菱型の車体構成はマーク IVとほぼ同じであるが、各種の改良が加えられている。まず、それまでのモデルではむき出しで車内に配置されていたエンジンが、隔壁で仕切られた機関室に設置されたことで車内の環境が大幅に改善した[2]。さらに駆動系では戦車用として開発されたリカードエンジンが搭載されて機動力が向上し、遊星歯車式変速機の搭載により従来型では4人がかりであった操縦が1人で可能になった[1][3]。また、菱形戦車の特徴でもあった大型尾輪が正式に廃止されており、後方射界が開けたので、車体後部に機関銃が一挺追加されている。
武装はこれまでの菱形戦車と同じく、砲装備の雄型と機関銃のみの雌型があるが[3]、機関銃は空冷式のホチキスに換装され、球状銃架を採用したことで射界を広くとれるようになった[1]。
派生型として、V*(スター)型とV**(ツースター)型がある[2]。V*型は車体を1.8メートル延長しており、前線補給車としても使用された[2]。
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ベルリン攻防戦におけるマーク V 戦車
第二次大戦末期のベルリン攻防戦において、2両のマーク V 戦車が、ドイツ軍によって戦闘に投入されて、破壊されたとする説がある。
ロシア革命の内戦中、イギリスから白軍へ送られたマーク Vが、赤軍に鹵獲され、スモレンスクの博物館に展示されていたものが、第二次世界大戦時の独ソ戦でドイツに鹵獲され、戦利品としてべルリンへ輸送され、屋外展示されていたものが、ベルリン攻防戦の戦闘で破壊されたものと考えられる。破壊されたマーク V 戦車の傍には、防盾と車輪ごと、車体上面に載せられていたと思われる大砲(おそらく、第一次世界大戦時のドイツで開発製造された10.5 cm 榴弾砲 もしくは 重野砲)が転がっている。それは明らかにマーク V 戦車のオリジナルの武装ではないし、砲脚が無いことから、砲単体で使われたものではない。ベルリンのマーク V 戦車は、ヒトラーユーゲントによって稼働運用されていたとする説がある。
「時々、あれは夢だったのだろうかと思う」
彼はその運命的な飛行を思い出して考える。彼とナビゲーターのジョージ・コンプトンが最後に会ったのは、この会議の前に、ベルリン上空で燃え盛るB-17から脱出していたときであった。コンプトンは、片目を失うなど、大きな怪我を負っていた。シュリムシャーはほとんど無傷で帰ってきた。ボンバルディアのジェームズ・コンウェイも無傷で脱出した。砲弾が文字通り彼の足元で炸裂し、弾丸があちこちに飛び交っていたが、彼は触れられなかった。彼はパラシュートで降下し、ヒトラーユーゲントのグループのように見えたものに捕らえられた。彼らは彼のアウターフライトスーツを剥ぎ取ったが、彼は電気加熱式フライトスーツは着たままであった。その後、彼は第一次世界大戦時の砲塔の無い戦車に乗せられ、ベルリンの街路を旅した。
「私はこの古い戦車の中に立って、この鮮やかな青いスーツを着てベルリン郊外を走っている」
彼は戦争のトロフィーになっていた。 — ノースウェスト・フロリダ・デイリーニュース 2003年1月
- ベルリン攻防戦で破壊されたマーク V 戦車。背景の建物は、1944年5月24日の爆撃で焼失したベルリン大聖堂である。
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登場作品
アニメ
ゲーム
- 『バトルフィールド1』
- MarkV ランドシップとして登場
出典
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