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ミゲル・アンヘル・ナダル

スペインのサッカー選手 ウィキペディアから

ミゲル・アンヘル・ナダル
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ミゲル・アンヘル・ナダル・オマルMiquel Ángel Nadal Homar, 1966年7月28日 - )は、スペインバレアレス諸島マヨルカ島マナコル出身の元同国代表サッカー選手。現サッカー指導者。現役時代のポジションは、DF, MF。"The Beast"の愛称で呼ばれた[1]

概要 ミゲル・アンヘル・ナダル, 名前 ...
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ミゲル・アンヘル・ナダル

RCDマヨルカでキャリアを始めマヨルカでキャリアを終了したが、最大の実績はヨハン・クライフ監督率いるFCバルセロナ―いわゆるエル・ドリーム・チームの時だった。プロ19シーズンの間で1部462試合を含む492試合に出場した。

1990年代のスペイン代表を中心選手として支え、FIFAワールドカップに3回・UEFA EURO '96に出場。62キャップを記録した。

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クラブ経歴

バレアレス諸島マヨルカ島マナコルに生まれたナダルは、地元のRCDマヨルカでプレーしている時に1987年4月19日のカンプ・ノウで行われたFCバルセロナ戦でリーグデビューを果たした。その後、チームはセグンダ・ディビシオンに降格したが、ナダルは主力選手として1シーズンで1部昇格に貢献し、以降もレギュラーを務め退団するまでの2シーズンで72試合12得点を記録。その活躍が認められ、1991-92シーズンに名門FCバルセロナに移籍した。

バルサでは、中盤や両ウィングバックと守備の要として公式戦に300試合以上出場し、リーグ優勝5回, コパ・デル・レイ2回, UEFAチャンピオンズリーグ制覇に貢献とクラブの黄金期を支えた。しかし、1998-99シーズンになるとルイ・ファン・ハール監督の構想から外れたことで、出場2試合にとどまり退団することになった。また、1996年と1997年にマンチェスター・ユナイテッドFCへの移籍話が持ち上がったが実現せず、プレミアリーグでプレーすることはなかった[1]

1999-2000シーズンよりマヨルカへ復帰。既にベテランの域に達していたものの、最初の3シーズンで欠場11試合と中心選手としてチームを牽引し、2002-03シーズンにはコパ・デル・レイ優勝を果たした。2004-05シーズン途中、ほぼ39歳になったナダルは現役引退を表明[2]。公式戦で約700試合に出場した。

引退してから5年が経った2010年7月、3シーズンバルサで同僚だったミカエル・ラウドルップ監督率いるマヨルカにコーチングスタッフとして戻った。2011年9月末にラウドルップとディレクターのロレンソ・セラ・フェレールがクラブを去ると、アウェーで2-2と引き分けたCAオサスナ戦で暫定として1試合チームを指揮した。

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代表経歴

1991年11月13日、UEFA EURO '92予選チェコスロバキア戦でスペイン代表デビューして以降62キャップを記録[3]

1994 FIFAワールドカップでは3試合に出場して、ベスト11候補に名を連ね、1998年の1998 FIFAワールドカップでは2試合出場した。マヨルカでの活躍から、1998年W杯以後遠ざかっていた代表に復帰し、2002 FIFAワールドカップでは36歳ながら全4試合に出場[3]、ベスト8での韓国代表戦を最後に代表を引退した。グループリーグ第3戦南アフリカ代表戦ではすでに決勝トーナメント進出が決まっていたことから主将のフェルナンド・イエロが休養したため、代わりにキャプテンマークを巻いて出場した[4]

また、UEFA EURO '96ではベスト8のイングランド戦でPK戦を失敗したことにより、チームは敗退した[5]

人物

スペインのプロテニス選手で、グランドスラム優勝回数歴代2位(22回)、史上2人目となるキャリアゴールデンスラム達成、全仏オープン最多優勝・最長連覇記録を保持するラファエル・ナダルを甥に持つ。ミゲル・アンヘルの兄トニ・ナダル英語版はラファエルのコーチを2017年まで務めていた[6]

所属クラブ

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 62試合 3得点(1991年-2002年)[7]
さらに見る スペイン代表, 国際Aマッチ ...

タイトル

FCバルセロナ
RCDマヨルカ

脚注

関連項目

外部リンク

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