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ミントー伯爵

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ミントー伯爵英語: Earl of Minto)は、イギリス伯爵位。連合王国貴族爵位。

概要 ミントー伯爵 Earl of Minto, 創設時期 ...

ベンガル総督(インド総督)を務めた初代ミントー男爵ギルバート・エリオット=マーレイ=キニンマウンド1813年に叙されたのに始まる。

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歴史

前身のエリオット準男爵位は、1700年4月19日ギルバート・エリオット(1650頃–1718)が叙されたのに始まる[1]

その曾孫である第4代準男爵サー・ギルバート・エリオット庶民院議員の活動を経て1797年10月20日グレートブリテン貴族カウンティ・オヴ・ロクスバラにおけるミントーのミントー男爵」(Baron Minto, of Minto in the County of Roxburgh)に叙せられた[2][3]。その後1806年のグレンヴィル内閣でインド庁長官として入閣し、これがきっかけで1807年7月からベンガル総督(インド総督)に就任した[4]ナポレオン戦争の中でオランダ植民地ジャワへ侵攻した総督として知られる[5]。退任後の1813年2月24日に連合王国貴族カウンティ・オヴ・フォーファーにおけるメルガンドのメルガンド子爵」(Viscount Melgund, of Melgund in the County of Forfar)および連合王国貴族「カウンティ・オヴ・ロクスバラにおけるミントーのミントー伯爵」(Earl of Minto, of Minto in the County of Roxburgh)に叙される[6][3]。また彼は母の姓を加えて「エリオット=マーレイ=キニンマウンド」と改姓している[3]

その息子である第2代ミントー伯爵ギルバート(1782–1859)もホイッグ党政権下で海軍大臣(在職1835年-1841年)や王璽尚書(在職1846年-1852年)を歴任した[7]

その孫である第4代ミントー伯爵ギルバート・ジョン(1845–1914)カナダ総督(在職1898年-1904年)やインド総督(在職1905年-1910年)を務めた[8]

現在の当主はその曾孫である第7代ミントー伯ギルバート・ティモシー・ジョージ・ローリストン英語版(1953-)である[9]

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現当主の保有爵位 / 準男爵位

現当主である第7代ミントー伯爵ティモシー・エリオット=マーレイ=キニンマウンド英語版は以下の爵位を有する[10]。ただし、準男爵位に関してはその継承が証明されていないため推定である[10]

  • 第7代ミントー伯爵(7th Earl of Minto)
    (1813年2月24日の勅許状による連合王国貴族爵位)
  • 第7代カウンティ・オヴ・フォーファーにおけるメルガンドのメルガンド子爵(7th Viscount Melgund, of Melgund in the County of Forfar)
    (1813年2月24日の勅許状による連合王国貴族爵位)
  • 第7代カウンティ・オヴ・ロクスバラにおけるミントーのミントー男爵(7th Baron Minto, of Minto in the County of Roxburgh)
    (1797年10月20日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
  • 第10代(ヘッドショーの)準男爵(de jure 10th Baronet, of Headshaw)
    (1700年4月19日の勅許状によるノヴァスコシア準男爵位)
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ミントーのエリオット準男爵 (1700年)

ミントー男爵 (1797年)

ミントー伯爵 (1813年)

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参考文献

  • 浜渦哲雄『大英帝国インド総督列伝 イギリスはいかにインドを統治したか』中央公論新社、1999年(平成11年) エラー: 日付が正しく記入されていません。(説明ISBN 978-4120029370

出典

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