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モデナの真珠
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『モデナの真珠』(モデナのしんじゅ、伊: La Perla di Modena, 英: The Pearl of Modena)として知られる『聖母の頭部』(せいぼのとうぶ、伊: La Testa di Madonna, 英: The Head of Madonna)は、イタリアの盛期ルネサンスの巨匠ラファエロ・サンツィオが1518年から1520年ごろに制作した絵画である。油彩。マドリードのプラド美術館に所蔵されているラファエロの『聖家族』(La Sacra Famiglia)に描かれた聖母マリアの頭部を複製した作品と見なされている[1][2]。現在はモデナのエステンセ美術館に所蔵されている[3]。
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作品
要約
視点
ラファエロは暗い背景の前でまぶたを半分閉じたままうつむく若い女性の顔を描いた。この女性はプラド美術館所蔵の『ラ・ペルラ』(真珠の意)の名で知られるラファエロの絵画『聖家族』に描かれた聖母マリアの顔と同一の構図であることが判明している。プラド美術館所蔵の絵画では、聖エリサベトに付き添われた聖母マリアは彼女の肩を抱き寄せながら、2人の幼児、イエス・キリストと洗礼者ヨハネを見守っている[5][6]。本作品の女性の姿勢はこの子供たちを見つめる聖母マリアの構図を切り取ったものである。聖母マリアの特徴的なポーズはラファエロの作品に見られる典型的な図像で、類似のものは1509年から1510年ごろに描かれたロンドンのナショナル・ギャラリーに所蔵されている『アルドブランディーニの聖母』(La Madonna Aldobrandini )にすでに見られ、1520年ごろの素描にも繰り返し現れる。色彩を重ね合わせる順序は完全にラファエロ風であり、ジュリオ・ロマーノの介入は最後のみ確認できる[7]。またこの作品は最初から小さなサイズの作品として制作されたわけではないことも判明している。板絵の縁には切除の際に生じたと思われる擦り切れた下地が見える箇所があり、より大型の板絵から切り取られ、縮小された作品であることが指摘されている[8]。
再発見と調査
『モデナの真珠』は長年にわたって華やかな額縁に収められ、エステンセ美術館の収蔵庫に保管されていた。20世紀後半、この作品はおそらくラファエロ派の絵画で、プラド美術館所蔵のラファエロの『聖家族』を17世紀に模写したものと考えられていた[1]。しかし2009年、モデナとレッジョ・エミリアの美術監督官であるマリオ・スカリーニ(Mario Scalini)はサッスオーロのドゥカーレ宮殿の収蔵庫の目録を作成した際に本作品に気づき、あまりにもラファエロ的であるとして興味を持った[2]。スカリーニによると、作品の優れた品質はさることながら、17世紀ごろの素晴らしい額縁は価値の低い小品を収めるには異例に思われるほど高級なものであった。さらに資料を精査すると、エステ家がラファエロの女性の肖像画を所有していたことを示す目録の記載を発見した。そこでスカリーニは絵画をフィレンツェのアート・テスト研究所(Art-Test laboratory)で科学的な調査を行った。修復家リサ・ヴェネロージ・ペチョリーニ(Lisa Venerosi Pesciolini)が同研究所独自のマルチレイヤー層序分析を用いて分析した結果、16世紀と19世紀の修復によって形成された、オリジナルの下絵を含む3つの異なる絵具層の存在が明らかになった[1]。特にオリジナルの下絵はラファエロ自身によって描かれたという説を裏付けるのに十分な高い品質が認められた。
さらにプラド美術館の主任保存修復士カルメン・ガリド(Carmen Garrido)とラファエル・アロンソ(Rafael Alonso)の協力により、プラド美術館の『聖家族』の聖母マリアの頭部のサイズや輪郭と比較された。その結果、2つの聖母像の頭部はサイズも輪郭も完全に同一であることが判明した。プラド美術館の『聖家族』はラファエロの弟子ジュリオ・ロマーノが制作したカポディモンテ美術館所蔵の『猫の聖母』(La Madonna della gatta)をはじめいくつかのバージョンが知られているが、『モデナの真珠』はそれらのうちで最も初期に制作されたバージョンにちがいないと考えられている[1]。一方、プラド美術館の『聖家族』はかつてはラファエロの晩年の作品と考えられていたが、現在では一般的にラファエロの素描に基いてジュリオ・ロマーノが描いたと考えられている。しかしイギリスの美術史の教授ポール・ジョアニデスとトム・ヘンリー(Tom Henry)は、2012年にプラド美術館で開催された展覧会「最後のラファエロ」(The last Raphael)において、プラド美術館およびルーヴル美術館の専門家たちとともに制作者をラファエロであると結論づけている[9]。いずれにせよスカリーニは『モデナの真珠』がプラド美術館の作品よりもラファエロの作風に近いと結論づけている[10]。
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来歴
『モデナの真珠』が制作された経緯や初期の来歴は不明である[10]。絵画は少なくとも17世紀にはエステ家のコレクションに加わっていたと考えられている。野心家であったモデナ=レッジョ公爵フランチェスコ1世・デステはモデナをかつてのフェラーラ公国のように芸術豊かな国とするため多くの絵画を収集した。その成果は息子アルフォンソ4世・デステ死後の1663年に作成された財産目録に見ることができる。この目録はエステ家がラファエロの作品を探し求めたことを示唆しており、実際にラファエロ作とされた3点の作品が記載されている。そこにはラファエロがキャンバスに描いた女性の肖像画の記載があり、金箔と彫刻が施された額縁に入れられていたと記されている。また別の個所には普通の額縁に入ったラファエロ作の肖像画の板絵の記載がある[11]。エステ家のコレクションの中でわざわざ額縁について言及している例は稀であり、それはこの作品が収められていた額縁がひときわ目を引く豪華かつ壮麗なものであったことを示している。したがって、キャンバス画と注記されているが、目録に記載された絵画が本作品であることは疑いない[12]。その後、絵画は1746年のドレスデン・セールで売却されることなく、エステ家のコレクションに残り続けた。現在、この作品はエステンセ美術館に収蔵されており、3,500万ユーロの価値があると見なされている[1]。
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ギャラリー
脚注
参考文献
外部リンク
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