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モノタイプ・イメージング

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モノタイプ・イメージング・ホールディングス (Monotype Imaging Holdings Inc.) は、デジタル植字と消費者向け電子機器で使用される書体デザインを専門とするアメリカ合衆国の企業である[2]。歴史的にはイギリスとアメリカにまたがって事業を展開していた。1887年にトルバート・ランストン英語版によってフィラデルフィアランストン・モノタイプ・マシン・カンパニー (Lanston Monotype Machine Company) として設立された。マサチューセッツ州ウーバンに本社を置く。同社は印刷技術において多くの発展に貢献してきた。特に、完全に機械化された活字鋳造植字機であるモノタイプシステム英語版は、一文字ずつ自動で文章を組むことを可能にした。モノタイプ社は20世紀に多くの書体デザインを手がけ、Times New RomanGill SansArialなど、現在広く使われている書体の多くを開発した。

概要 現地語社名, 以前の社名 ...

ライノタイプITC英語版ビットストリームFontShop英語版URW英語版Hoefler & Co.英語版、Fontsmith、フォントワークス、Colophon Foundryなどの買収を通じて、HelveticaITC Franklin Gothic英語版OptimaITC Avant Garde英語版PalatinoFF DIN英語版Gotham英語版といった主要なフォントファミリーの権利を獲得している。また、多くの独立系フォントデザインスタジオが利用するMyFonts英語版も所有する[3]。同社はプライベート・エクイティ・ファーム英語版HGGC英語版傘下にある[4]

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沿革

要約
視点

モノタイプシステム

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モノタイプ自動鋳造植字機

ランストン・モノタイプ・マシン・カンパニーは、1887年にトルバート・ランストン英語版によってペンシルベニア州フィラデルフィアで設立された。ランストンは、冷たい金属片から金属活字を打ち抜く機械的な方法で特許を取得していた。この活字は印刷機用の母型英語版組版される。1896年、ランストンは初のホットメタル(鋳植)植字機で特許を取得し、モノタイプは最初の書体である「Modern Condensed」を発表した。ランストンの書体ライブラリのライセンスは現在、ニューヨーク州ロチェスターに拠点を置くデジタル書体制作会社のP22英語版が取得している。

資金調達のため、同社は1897年頃にロンドンにランストン・モノタイプ・コーポレーション(通称モノタイプ・コーポレーション)という支社を設立した[5][6]。1899年にはサリー州レッドヒル英語版近郊のサルフォーズ英語版に新工場が建設され、1世紀以上にわたって同社の拠点となった。この工場は、専用のサルフォーズ駅英語版が建設されるほどの規模であった。

モノタイプ機は、「ホットメタル」(溶融金属)から文字を活字として鋳造する仕組みであった。そのため、個々の文字を追加したり削除したりすることで、スペルミスを修正することができた。これは、書籍のような「高品質」な印刷に特に有用であった。これに対し、直接の競合相手であった[7]ライノタイプ機は、1行分の活字を1本のスラグ(鋳片)として一体で成形した。これを編集するには行全体を交換する必要があり、もし修正によって文章が次の行にまたがる場合は、段落の残りの部分も修正しなければならなかった。しかし、ライノタイプスラグは、テキストのセクション全体をページ内で移動させる場合には扱いやすかった。この特徴は、新聞のような「迅速な」印刷に、より適していた。

20世紀初頭、植字機は継続的に改良され、1906年には活字を入力するためのタイプライター式キーボードが導入された。この機構は、すべての行の長さを揃えるために単語間のスペースを調整する必要性に対応したものであった。

キーボードオペレーターが原稿を打ち込むと、各キーが紙テープに穴を開け、その穴が独立した鋳造機を制御する。キーボード上のドラムが、オペレーターに各行に必要なスペース量を示す。この情報も紙テープに打ち込まれる。テープを鋳造機にかける前に裏返すことで、各行の最初の穴が可変スペースの幅を設定する。それに続く穴が、使用する書体の母型セットを保持するフレーム(ダイケース)の位置を決定する。各母型は、文字の形が凹状に彫られた長方形の青銅である。母型が鋳造される活字のボディを形成する鋳型の上に配置されると、溶融した活字合金が注入される。

モノタイプは自社のイメージ向上のため、20世紀のほとんどの期間にわたって雑誌『モノタイプ・レコーダー』を発行し、ロンドンで植字工の養成学校も運営した[8][9]。1936年にはロンドン証券取引所に上場し、モノタイプ・コーポレーションとなった。同社の役員会には、後に首相となるハロルド・マクミランが副会長として名を連ねたほか、出版業界に関わる実業家たちが参加した[9][10]

書体制作

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デジタル化された様々なモノタイプの書体見本。

モノタイプがデザイン史において重要な役割を果たしたのは、単に印刷機器を供給したからだけではない。20世紀の最も重要な書体の多くを同社が委託制作したことによる。

1896年に発表された同社初の書体は、Bodoniスコッチ・ローマン英語版の影響を受けた、現在ではModernと呼ばれるごく一般的なデザインであった。しかし1920年代になると、同社の英国支社は、歴史的影響を色濃く反映した人気のデザインを委託制作することで知られるようになる。これらの書体は、ルネサンス期から18世紀後半にかけての印刷黎明期の優れた活字を復活させたものであった[11][12][13][14]。この一連のリリースは、アーツ・アンド・クラフツ運動が印刷にもたらした関心を、より実用的な一般印刷の世界へと広げた、当時のタイポグラフィ復興における主要な原動力となった。この時期の主要な経営陣には、歴史家で顧問のスタンレー・モリソン、広報マネージャーのベアトリス・ウォード英語版、技術専門家のフランク・ヒンマン・ピアポント英語版、製図家のフリッツ・シュテルツァーらがいた(ピアポントは米国人だが、後者2人はドイツの印刷業界から引き抜かれた)。彼らは1924年から1942年まで会社を率いたウィリアム・アイザック・バーチ常務取締役の下で働いていた[15]。歴史志向のモリソンとウォード派と、サルフォーズ工場のピアポント派との間には社内対立があったものの、Gill SansTimes New RomanPerpetua英語版といった著名な書体が委託制作された。また同社は高い開発水準を維持し、バランスの取れた本文に不可欠な、優れた字間、同一デザインのサイズ別最適化、さらには紙面上の発色まで考慮したデザインを生み出すことができた[16][17][18][19]

1950年代以降モノタイプと密接に協力した歴史家のジェームズ・モズリー英語版は、同社について次のように述べている。

戦間期の英国モノタイプは、当時の偉大な公共機関、例えば英国放送協会ロンドン交通局を彷彿とさせる。これらの組織は、ルネサンス期のイタリア君主をも凌ぐ規模で芸術の後援者たる役割を謳歌する独裁者によって支配された、慈悲深き独占企業であった。モノタイプは、少なくとも英国において、書籍や高品質な雑誌の植字分野で独占に近い地位を享受していた。そして、モリソンと彼が抜擢した若き米国人ベアトリス・ウォードが担当した巧みな広報活動により、新しい書体の持つ魅力を最大限に活用したのである。[20]

一方、米国支社は芸術的な評価において英国支社に遅れをとっていた。同支社のデザインは、英国支社の製品とは異なりマイクロソフト製品にバンドルされて広く利用されることが少なかったため、今日ではあまり知られていないものが多い。同社はフレデリック・ガウディをいくつかのセリフ体プロジェクトに起用し、それらは当時高い評価を得た。また、社内の書体デザイナーであるソル・ヘス英語版は、ドイツのFuturaに対抗するジオメトリック・サンセリフ体「Twentieth Century英語版」を制作した[21][22][23][24]

衰退

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ロンドンの旧モノタイプ・ハウスの礎石。現在はロンドンのタイプ・アーカイブ英語版が収蔵している。
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モノタイプが発行した書体見本。

1960年代以降、モノタイプは衰退期に入る。その原因は、マスマーケット向けの印刷において、活版印刷に代わって写真植字リトグラフィーが主流となり、ホットメタル(鋳造活字)の使用が減少したことにある[25][26][27]。これらの新技術は、金属活字から直接印刷する必要がない、組版が速い、オペレーターの人数を削減できるなど、大幅な効率化をもたらした[28][29]。また、ホットメタルでは使用するフォントの全サイズについて原寸大の母型を所有する必要があったが、新技術ではそれ以上に多様で魅力的なフォントが利用可能になると期待された[30]

モノタイプもコールドタイプの時代に移行し、独自の写真植字システム「モノフォト」の販売を開始したが[31]、いくつかの問題に直面した[32]。初期の装置はホットメタルの機械を色濃く踏襲しており、金属活字を鋳造するための母型の代わりに、文字をガラス原板に写したものを印画紙に焼き付ける方式であった[33][34]。この方式は再訓練の必要性を減らす利点があったものの、PhotonやCompugraphic英語版といった新興企業が開発した次世代機に比べて組版速度が遅く、高価になることが多かった[35][36]。また、電子技術の導入も遅れがちであった。同社の書体ライブラリは高品質であったが、時代の嗜好の変化や他社ライブラリの発展が競争相手となった[35]。加えて、フォントの著作権保護には限界があるため、書体ライブラリは容易に海賊版の標的となった。最終的に、同社は3つの部門に分割される。回転ミラー式のレーザービーム写真植字機を製造するモノタイプ・インターナショナル、ホットメタル機の事業を継続するモノタイプ・リミテッド、そして書体のデザインと販売を行うモノタイプ・タイポグラフィである。また、日々の生産問題から切り離す目的で、ケンブリッジに研究開発部門が設立された。

英国のモノタイプは、1970年代を通じてオックスフォード大学やケンブリッジ大学の出版局といった英国の主要な印刷会社からの後援を受け、名声を保ち続けた。また、1970年代以降はケンブリッジの研究グループが開発したレーザー式組版システム「レーザーコンプ」でもある程度の成功を収める[35][37]。しかし、1990年代に入ると、QuarkXPressAldus PageMakerといった汎用コンピュータで動作するDTPソフトウェアという新たな技術が登場し、組版ソリューション市場における同社の競争力は失われていった[38]

それでもモノタイプは事業を継続し、例えばマイクロソフトのようなコンピュータ企業(マイクロソフトのコンピュータに搭載されるフォントの多くはモノタイプ製である)や、ロンドン交通局、英国議会といった特注のデジタルフォントを必要とする企業や団体に対し、第三者への書体デザインの販売などを行っている[39][40][41]。同社が所有していた金属活字関連の機材やアーカイブの多くはロンドンのタイプ・ミュージアム英語版に寄贈され、その他の資料はセントブライド図書館英語版に収蔵されている[42]

アメリカのランストン・モノタイプ社の歴史とホットメタルの衰退については、リチャード・L・ホプキンスの著作『Tolbert Lanston and the Monotype. The origin of digital Typesetting』に詳述されている[43]。2004年には、ジェラルド・ジャンパ英語版からP22タイプ・ファウンドリー英語版が「ランストン・タイプ社」を買い取った[44]

英国モノタイプの歴史については、ジュディ・スリン、セバスチャン・カーター、リチャード・サウソールによる共著『The History of the Monotype Corporation』(Vanbrugh Press & Printing Historical Society、2014年、ISBN 978-0993051005)に記されている。

再編と拡大

1992年3月5日、Monotype Corporation Ltd.は管財人の管理下に入り、その4日後にMonotype Typography Ltd.が設立される。スイスを拠点とする投資会社Cromas Holdingsが、Monotype Corporation Ltd.とMonotype Inc.(Monotype Typographyを除く)、およびフランス、ドイツ、イタリア、オランダ、シンガポールにあった他の直接子会社5社を買収した。新組織はピーター・パーディを会長としてMonotype Systems Ltd.と名乗った。この「Monotype」という名称は、商標を保持していたMonotype Typography Ltd.からのライセンス供与によるものであった。Monotype Systems Ltd.は、プリプレス英語版用のソフトウェアやハードウェア、ラスターイメージプロセッサ、ワークフローの販売に注力した。

Cromas Holdingsは、International Publishing Asset Holding Ltd.を設立して出版関連事業を再編し、Monotype Systems Ltd.、QED Technology Ltd.、GB Techniques Ltd.を実質的に傘下に収めた。

同社は、ドイツの植字機メーカーの英国子会社であったBerthold Communicationsを買収する。

2002年6月、Monotype Corporationとの商標ライセンス契約が終了したことを機に、Monotype Systems LimitedはIPA Systems Limitedに社名を変更。米国ではMonotype IncがalfaQuest Technologies Limitedとなる。両社とも、引き続きプリプレス用のソフトウェアとハードウェアを販売している。

1999年、Agfa-Compugraphicが同社を買収し、Agfa Monotypeに社名を変更する。Agfa Corporation傘下で6年が経過した2004年末、Monotypeの資産はボストンを拠点とするプライベート・エクイティ投資会社TA Associates英語版によって買収された。会社はMonotype Imagingとして法人化され、同社の伝統的な中核事業であるタイポグラフィとプロフェッショナル印刷に再び焦点を当てることとなる。

Monotypeは、手書きペルシア文字のペルシア・ナスタアリーク体を初めてデジタル化した企業である。また、漢字を植字するために、スタイラス付きの本で構成される中国語の「キーボード」も開発された。ページをめくるとページ番号が電気的に検出され、これが大きなグリッド上でスタイラスによって選択された文字の位置と組み合わされる仕組みであった。

2003年、同社はデスクトップ上のライセンスフォントと無許諾フォント(必ずしも違法ではない)を監査する初のソフトウェアであるFontwiseをリリースする[45]

2006年10月2日、Heidelberger Druckmaschinen英語版の子会社であるLinotype GmbHを買収[46]

2006年9月18日、香港を拠点とする書体デザイン・制作会社であるChina Type Design Limited (CTDL) を買収。CTDLは、Windows Vistaの繁体字中国語デフォルトインターフェースフォントである微軟正黑體 (Microsoft JhengHei) の開発を担当していた。この取引により、中国・珠海市にあるフォント制作会社で30人の制作スペシャリストを擁するCreative Calligraphy Center (CCC) との独占的関係も確保された[47]

2009年12月11日、組み込み機器向けのアプリケーションおよび開発ツールを専門とする開発会社Planetwebを買収[48]

2010年12月8日、コンピュータ、モバイル機器、家電製品、ソフトウェア製品で使用されるフォントおよびフォント技術のプロバイダーであるAscender Corporation英語版を買収[49]

2012年3月、デジタルフォントの小売業者であるBitstream Inc.を買収。この取引により、多くの独立系デザイナーが利用するフォント販売サイトMyFonts英語版と、そのフォント認識サービスWhatTheFontの所有権もMonotypeに移った[50][51]

2014年7月15日、当時最後の大手独立系デジタルフォント小売業者であったFontShop英語版を買収[52]

2019年10月、Monotypeの所有権はプライベート・エクイティ・ファーム英語版のHGGCに移る[53]。その数か月後の2020年1月27日、ロンドンの独立系書体制作会社であるFontSmithをフォントカタログに加えた[54]

2020年5月18日、MonotypeはGlobal Graphics plcからURW Type Foundry英語版を買収し、さらなる大規模な拡大を果たす[55]。2021年後半には、ニューヨークの象徴的な企業であるHoefler & Co.英語版(1989年にジョナサン・ヘフラーが設立)を買収して拡大を続け、Gotham英語版、Knockout、Mercury、Sentinel、Chronicle、Decimal、Archerといった著名なフォントをライブラリに加えた[56]

2023年7月19日、日本のフォントベンダーであるフォントワークスを買収[57]

2023年5月4日、Monotype CorporationはFont Bureau英語版のライブラリから39書体を取得したが、会社自体の買収ではなかった[58]

2024年、Monotypeは米国の書体制作会社Sharp Typeから書体の権利を取得したが、これも会社自体の買収ではない[59]

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書体

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関連項目

脚注

参考文献

関連文献

外部リンク

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