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ユース王座

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ユース世界王座(ユースせかいおうざ、英: youth world championship)とは、プロボクシングにおいて、一定の年齢に達していない選手が挑戦可能な世界王座のことである。「ユース」とは英語で「若手」という意味である。

概要

もともとこの王座は、若手選手の育成を目的とし、若年層や発展途上国の選手など世界王座への挑戦の機会がなかなか与えられない層に門戸を開くという建前のもとに、創設されたといわれる。

現在は、世界ボクシング評議会(以下、WBC)、世界ボクシング連合(以下、WBU)、、国際ボクシング連盟(以下、IBF)、世界ボクシング機構(以下、WBO)、女子国際ボクシング協会(以下、WIBA)、世界プロボクシング連盟(以下、WPBF)、国際ボクシング機構(以下、IBO)が認定している。2011年4月まで、日本ボクシングコミッション(以下、JBC)は、日本国内・JBC管轄興行においてユース世界王座をかけたタイトルマッチを組むことや、各地区・日本ボクシング協会加盟ジム所属のJBC・A級ボクサーライセンス持つ選手(大半が日本人)の日本国内・JBC管轄興行における同王座挑戦を認めていないため、日本人選手による同王座の獲得は事実上不可能であった(但し、他国での試合ならJBCも海外遠征承認申請された場合は許可せざるを得ない)。

世界ボクシング評議会

WBCは、世界各地に埋もれている若い才能を超特急で世界の舞台に上げるためのプログラムとして創設。ユース世界王座に挑戦できる年齢18歳以上24歳未満で、10戦以上の戦績があり、50%以上の勝率の相手との勝率が85%以上あり、少なくとも2戦以上の8回戦を経験している選手に挑戦資格付与(オリンピックボクシング競技のメダリストは別基準)。しかし、創設された当初の挑戦資格は非常に曖昧であり、負け越しや連敗中、試合数不足、さらに規定年齢超過で挑戦するケースが後を絶たなかった[1]

こうした若年のスター選手の卵にベルトを与え、WBC世界チャンピオン委員会の66パーセントの賛成でユース世界選手権の資格が付与。つまり、ランキングの停滞による若年選手のスター性低下を防ぐために採用された制度。なお、24歳に達してしまっていても、現役のユース王者であれば1度だけ防衛戦を行うことが出来る(オーバーエイジ)。またWBCはユース王座について、「世界王座」と「インターコンチネンタル王座」の2種類を定めている(ユース世界王座のみ女子プロボクシング部門あり)。この選手権に関する議長(Chairman)は、アメリカのレックス・ロス・ウォーカーが務めている。タイトルマッチは男女とも10ラウンドとする。

ユース世界王座を数回防衛した場合、本当の世界王座挑戦有資格者(JBCとしても日本ランキング1位以上に日本タイトル挑戦を優先させる)となる世界ランキング15位以内に組み込む事が約束されている。

JBC非公認の下部地域組織アジアボクシング評議会(ABCO)も2018年からユース王座設置している。

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歴史

要約
視点

1999年に、WBCがユース世界王座を設置。同年9月29日にロシアで初のユース世界王座のタイトル決定戦(スーパーフライ級)を実施した。この試合で、21歳の誕生日を2か月後に控えたディミトリー・キリロフが同い年の南アフリカ人に圧勝し初のユース世界王者になったが2度防衛し返上。

WBCに後れること2年、IBFは2001年にユース世界王座を設置した。同年8月25日に、ウクライナで初のIBFユース世界タイトル決定戦(スーパーミドル級)を実施した。この試合で、21歳の誕生日の1か月半後のセルゲイ・ルビスが年齢不詳のロシア人とデビュー戦同士で圧勝しIBF初のユース世界王者になったが翌年0勝7敗の同い年のロシア人との初防衛戦で圧勝し王座返上し引退。

ロベルト・カルロス・レイバは20歳だった2000年6月2日、母国メキシコのカンクンのラ・デスコテカにてアデル・グティエレスとWBCユース世界ミニマム級王座決定戦を行い、4回TKO勝ちでデビュー戦から14試合連続KO勝利で王座獲得に成功した。

2000年8月4日、ロベルト・ゴメスと対戦し10回判定勝ちを収め初防衛に成功した。この試合で初めてレイバはKOを逃した。

2000年11月3日、6戦全勝のルイス・バルデスと対戦し4回KO勝ちで2度目の防衛に成功した。この勝利でWBCで世界ランカー入りを果たし同王座返上。

紆余曲折経て9年半後30歳の2010年4月3日、自身より10歳下の(後にトマス・ロハス持つWBC正規世界王座に挑戦)WBCユース世界スーパーフライ級王者フアン・ホセ・モンテスに挑戦。レイバが勝った場合王座は獲得できるがレイバは年齢制限を超えているため即返上の条件で行われた。3回モンテスの後頭部にパンチを当てたため失格になり王座獲得に失敗した。

日本においては2002年、中日本ボクシング協会に加盟する天熊丸木ボクシングジムが着目し、同ジムの成長株であったA級ボクサー杉田真教(後の真教杉田)をWBC世界スーパーバンタム級ユース王座の王座決定戦に出場させた。21歳の誕生日10日前(成人式の5か月後)同年6月9日、愛知県内のパークアリーナ小牧でのJBC管轄興行で組まれた前述の決定戦で、フィリピンのアネス・デミューハを4回KO勝ちで下して王座を獲得した。同王座への挑戦及び王座獲得は、もちろん日本人選手では初めてであった。しかし同興行終了直後に史上初の日本人ユース世界王者輩出した陣営は、当時のJBC中部事務局長の舟橋幸男から直々に「今後、日本でユース世界王座は認めない」という通告を受けている(「ランキングの不備」という名目であった)。21歳の誕生日から半年足らずの12月12日にメキシコから招いた挑戦者相手に同王座の初防衛戦を行い、10R判定勝ちを収め返上。これにより日本国内・JBC管轄興行においては、ユース世界王座をかけたタイトルマッチが組めなくなった。

亀田三兄弟の三男である亀田和毅東日本ボクシング協会加盟ジム所属A級ボクサーとしてJBC海外遠征承認取り付けてメキシコで19歳誕生日の2日前に2010年7月10日グアダラハラで空位のWBCユース・インターコンチネンタルスーパーバンタム級王座決定戦で同国のホープのアルツロ・カマルゴと対戦し、3-0の判定勝ちで王座を獲得し初防衛せず返上、更に次戦は数カ月経過しシナロア州マサトランにてWBC世界バンタム級ユース王者シュテファーヌ・ジャモエ(ベルギー)に挑戦し2-1判定で破り史上初めて日本人ボクサーとして海外でユース世界王座奪取しており、日本国内・JBC管轄興行で同王座防衛戦を希望したが、やはり許可されなかった。

だが、2011年4月に事態は一転。1980年代半ば東日本協会代表務め退任後も常任相談役として隠然たる影響力や政治力発揮していた木村七郎が(和毅の実父でJBCセコンドライセンス資格取消・永久追放の亀田史郎から依頼受けた、過去にスパイ粛清事件という殺害行為で服役した事が災いしJBCから如何なるライセンスの発給受けていない勝又洋の懇願で)尽力し一時的に失脚する直前のJBC本部事務局長安河内剛への説得工作に成功しWBCユース世界王座への挑戦を日本ランカー以上に容認することになった。しかし、七郎自身が創立者の新日本木村ジム所属や七郎自身が現役時代属した新和ジムの流れ汲むセキジムが名称変更した横浜光ジム所属、七郎の故郷・宮城県に所在し七郎と関係深い北日本ボクシング協会加盟・新日本仙台ボクシングジム所属や、七郎と関係深い西日本ボクシング協会加盟(亀田史郎が10代の頃練習生として在籍)新日本大阪ボクシングジム所属のA級ボクサーが海外でもJBC管轄興行でもWBCユース世界王座挑戦した事実は無い。

7月8日に福岡市九電記念体育館でのJBC管轄興行にて解禁後初のユース世界王座戦が組まれた。まず、セミファイナルとしてWBC女子世界アトム級ユース王座決定戦、西部日本ボクシング協会加盟・関博之ジムのホープで20歳の黒木優子 vs ノンキャット・ロンリエンキラコラート(タイ)戦が組まれ、4回TKO勝利した黒木が王座獲得、続いてメインで和毅もフィリピンから招いた挑戦者に3-0判定で初防衛成功し返上(和毅と黒木は同じ平成3・1991年生、和毅は成人式の半年前で早生まれの黒木は成人式の半年後)。12月7日には22歳の東日本協会加盟・青木ジム所属渡邉卓也も後楽園ホールでライト級ユース世界王座決定戦出場しBoxRec上ではデビュー戦のタイ人ノン・シッサイトーン(タイ)に7RTKOで勝利し獲得している。

和毅以外にJBC海外遠征承認得てWBCユース世界王座挑戦し獲得しJBC管轄興行にて防衛戦を行った各地区の日本協会加盟ジム所属A級ボクサーには比嘉大吾がいる。東日本協会加盟・具志堅ジムの期待の星だった時期、自身の20歳誕生日の半月前にタイ国内で2015年7月フライ級世界ユース王者コンファー・CPフレッシュマートに豪快なKO勝で王座奪取し同年11月と翌16年3月後楽園ホールでの帝拳プロモーションが窓口のダイナミックグローブと銘打たれたJBC管轄興行メインで2回連続でフィリピンから招聘の挑戦者にKO防衛し返上。しかし本田明彦がクラブオーナーで浜田剛史が現場責任者たる東日本協会加盟ジムの中でも老舗・帝拳ジム所属や系列の北日本協会加盟・八戸帝拳所属や西部日本協会加盟・福岡帝拳所属や(自身の24歳誕生日の丸19か月前2019年1月3日の数日前に日本スーパーバンタム級24位という最下位で初のランクインし日本タイトル挑戦資格有しないデビュー以来10戦10勝辰吉寿以輝をはじめ)西日本協会加盟・大阪帝拳所属のA級ボクサーにユース世界王座挑戦させる事は、本田の意向で全否定されている。

黒木と渡邉は初防衛せずに返上。ジョビー・カツマタはフィリピン国籍で母国で生まれ育ち母国でデビュー後に輸入選手たる東日本協会加盟・勝又ジム所属選手として20歳誕生日を一か月半後に控え2013年12月自身の母国から招いた同胞のスーパーフライ級王者挑戦しKO奪取し初防衛せずに返上。東日本協会加盟・八王子中屋ボクシングジム所属野崎雅光は数カ月前の直近の試合TKO負からの再起第1戦は沖縄県内での勝又ジム主催のJBC管轄興行で2012年11月バンタム級王座決定戦、規定の年齢の挑戦者としてフィリピン人相手にダウン奪われ2-1判定で王座奪取し、史上初の24歳の誕生日過ぎた日本人王者として愛知県内での中日本協会代表経験者畑中清詞経営するSOUL BOX畑中ボクシングジム主催JBC管轄興行で同ジムの21歳のホープ田中裕士との2013年3月初防衛戦は引分、これは史上初の日本人同士による同タイトル戦であり2010年代唯一の各地区の日本協会加盟ジム所属選手同士による同タイトル戦。7月野崎が返上のバンタム級王座決定戦制し、男女問わず・各地区の日本協会所属A級ボクサーか否かに問わず日本人最多記録となる3度防衛し返上。前述の畑中の愛息畑中建人も20歳誕生日の4か月半後2018年9月愛知県内の実父がプロモーターたる興行にて比嘉が返上したフライ級王座決定戦制し2度防衛し返上。

勝又ジム関係のJBC管轄興行にて斉藤司は渡邉の王座返上に伴い22歳誕生日の翌々月2012年8月ライト級王座決定戦や初防衛戦でタイ人相手にTKO記録したが、2度目の防衛戦でフィリピン人にTKO負。黒木と同じ平成3・1991年早生まれ伊藤雅雪は2013年9月その半年前斉藤からKO奪取のフィリピン人が返上のライト級王座決定戦に当初は別のフィリピン人と(伊藤と5週間早く出生で同学年で同じく前年12年12月全日本新人王決定戦制した)西日本協会加盟・真正ジムのホープ奥田翔平が出場予定だったが、奥田が一ヶ月前を切った段階の前哨戦TKO負で出場不可能となり東日本協会加盟・伴流ジムに当時所属の自身が代理出場で制し初防衛せず返上。

日本のボクシング史において、WBC女子ユース世界王座挑戦した各地区の日本協会加盟ジム所属A級ボクサーは前述の黒木のみ。JBC管轄外の日本人選手でWBC女子ユース世界王座挑戦した者は皆無。和毅の8歳下の実妹亀田姫月は現在に至るまでJBCボクサーライセンス取得歴皆無だが2018年4月義務教育修了4年目18歳の春にメキシコでデビューし次戦からタイ国内で何度も試合して2019年1月から同年8月12日の20歳の誕生日数日前まで3試合は地域王座2度・マイナー世界王座1度挑戦したが女子ユース世界王座とは無縁だった。

ただし、海外では認められているオーバーエイジチャレンジャーとしてのタイトルマッチは、混乱を招くなどの理由から日本国内・JBC管轄興行では原則として認めていない。

2010年度ライトフライ級全日本新人王決定戦で東軍代表として制した山口隼人(TEAM10COUNT)が、日本タイトル初挑戦惜敗からの再起戦は自身の23歳誕生日11日前2012年7月21日に比国マニラ市で現地人のWBCユースインターコンチネンタル・フライ級王者にJBC海外遠征得て挑戦し5RTKO負。

西日本協会加盟・千里馬神戸ボクシングジム所属玉越強平もJBC海外遠征承認取り付けてスーパーフェザー級ユース世界王者ダンテ・ハルドンに2011年12月メキシコにて挑戦しKO勝で王座奪取しているが、オーバーエイジ(31歳の誕生日の3週間前)のためJBCは認定されず初防衛せず返上。

しかし真教の属していた中日本協会加盟ジム創業者の愛息たる丸木凌介は規定の年齢23歳でWBCユース世界スーパーウェルター級王者ペットスリヤー・シンワンチャー(タイ)挑戦したが0-2僅差判定で惜敗し2015年3月29日自身の24歳の誕生日当日に同じ相手に再挑戦でオーバーエイジチャレンジャーとしてKO奪取しインドネシアから招いた挑戦者に圧勝で初防衛成功し返上、いずれも愛知県内のJBC管轄興行だったが玉越の場合とは違いダブルスタンダードで公認。

松本章宏は2014年4月地元・金沢市内でのスーパーバンタム級王座決定戦で韓国人選手にTKO負、この試合がラストファイトとなり、自身と同じ平成3〈1991〉年早生まれの丸木と違って再挑戦しなかった。JBC管轄興行にて海外所属ボクサー同士がWBCユース世界タイトルマッチとして対戦した唯一の事例は、2014年11月30日前述の松本の属した中日本協会加盟カシミジム主催の金沢市内で興行のメインでフィリピンとタイの22歳のホープ同士が田中の返上した直後のバンタム級王座巡り激突しフィリピン人がTKOで奪取し初防衛せずに返上。

和毅は2007年西成区の天下茶屋中学卒業し15歳でメキシコにボクシング留学しアマチュア経験、その当時から自身より1歳上のライバルで同国屈指の逸材レイ・バルガスも22歳でスーパーバンタム級のIBFユース世界王座決定戦を制し獲得し初防衛せずに返上。JBCの海外遠征承認取り付けた真正ジムのホープで24歳誕生日2ヵ月前の高野誠三とのWBCユース・インターコンチネンタル王座決定戦を10RTKO勝で獲得し初防衛せず返上。更に半年後にJBCから海外遠征承認取り付けた西日本協会加盟のグリーンツダボクシングクラブの34歳のベテラン村井勇希とのWBCユース・シルバー王座決定戦を10R3-0判定勝で獲得し初防衛せず返上。村井と同門の角谷隆哉は2013年12月5日23歳の誕生日を現役A級ボクサーとして迎え、その後の10か月間でJBCの海外遠征承認取り付けフィリピン国内で同国のホープと3試合戦い引退。23歳の誕生日翌々日にスーパーライト級で同国のマイナー国内王座PBFタイトル決定戦10Rを2R負傷判定勝、前述の伊藤の返上に伴い翌2014年5月4日ライト級で伊藤との決定戦で惨敗した相手にWBCユース世界王座決定戦10Rで2RTKO負、10月4日スーパーフェザー級でWBCユース世界王座決定戦12Rで1RTKO負。

真正・グリーンツダ両ジムとも、看板選手や期待の星を(前述の七郎の尽力でJBCにユース世界王座認可させた時点の東日本協会代表)大橋秀行が窓口のJBC管轄興行Lemino BOXINGで試合させる事は多々有るが、同興行でユース世界タイトル戦は一度たりとも開催されていない。大橋は自身と同様に横浜高校卒業生たる逸材(岡田誠一_(ボクサー)・河井了・松本亮_(ボクサー)平岡アンディなど)を自身の経営する大橋ジム所属の24歳未満のA級ボクサーとして活躍させていたが(大澤康規及び木幡竜はA級8Rの試合経験無しで引退)、同ジム所属A級ボクサーがユース世界王座挑戦した事実は一切無い。

1989年6月23日生の木村隼人_(ボクサー)は日本人男性ながら、実質的に東日本協会加盟・横浜さくらボクシングジム所属選手だがJBCボクサーライセンス取得せずに16歳誕生日にタイ国内でプロデビューしタイ国内ランキング入りし、その後韓国ランキング入りし、18歳から24歳未満の時期に韓国所属A級ボクサーやフィリピン所属A級ボクサーとして何度もJBC管轄興行で試合出場したが(一度だけフィリピン所属A級ボクサーとして試合出場時は22歳。その時の興行で自身と同じ平成元・1989年生ながら一学年上の渡邉がユース世界王座獲得)、24歳誕生日迎えるまで東日本協会加盟・横浜さくらジム所属A級ボクサーだった時期や24歳誕生日前後に東日本協会加盟ワタナベボクシングジム移籍後を含めて海外での試合出場時でもユース世界王座とは縁が無かった。

また、JBCは2013年4月よりIBF・WBOにも加盟しているが、JBCがユース世界王座として公認するのは引き続きWBCのみと見られる。2015年1月12日に韓国でJBC海外遠征承認取り付けた21歳の西部日本協会加盟・折尾ジムのホープ榮拓海が半月後に22歳の誕生日迎えるタイ人とのIBF世界ライトフライ級ユース初代王座決定戦を制して獲得しているがJBCはノンタイトル扱い、榮は初防衛する事なく返上。

男女問わずJBC管轄外の日本人選手が海外でWBCユース世界王座に挑戦した唯一の事例は、黒木や伊藤や丸木や松本と同じ平成3(1991)年早生れの坂井祥紀はJBCボクサーライセンス取得歴皆無でメキシコで活躍し24歳誕生日迎えて半年以上経過の2015年9月にオーバーエイジ出場者として同年末に24歳の誕生日控える同国人相手にWBCユース世界スーパーライト級王座決定戦を最終回10RTKOで制したが当然非公認で初防衛せず返上。その前年・14か月前に数か月後に20歳の誕生日控える相手とWBCユース・シルバーライト級王座決定戦12Rで0-3判定負。

寺地拳四朗は実父・寺地永が経営の西日本協会加盟BMBジム所属選手ながら後楽園ホールでの東日本協会加盟・三迫ジム主催興行にて24歳誕生日まで3か月を切った2015年10月ライトフライ級王座決定戦制したが初防衛せずに返上。斉藤がデビューからWBCユース世界王座獲得や初防衛や王座陥落時点の所属先の東日本協会加盟する(1989年早大1年・18歳の日本ボクシング連盟登録アマチュア選手としてAIBA世界ユース選手権の前身世界ジュニア選手権フェザー級日本代表選手)三谷大和が経営するジムで同僚だった岩井大は、斉藤が前述の王座獲得の半年前に三迫ジム移籍第一戦で自身の23歳誕生日12日後12年2月19日JBC海外遠征承認取り付けてフィリピン国内で同国のホープに7RTKO勝で獲得したWBC初代ユース・シルバーフェザー級タイトルもJBC非公認王座扱いで初防衛せず返上。

帝尊康輝在日韓国人ながらデビュー以来西日本協会加盟・六島ボクシングジム所属選手として活躍し丸木にTKO負で一階級下の王座失ったタイ人との23歳の誕生日数か月後2016年4月ミドル級王座決定戦制したが初防衛せずに返上(そのタイ人とは17か月前にも対戦し圧勝している)。丸田陽七太は西日本協会加盟の森岡ボクシングジムのホープで高卒1年目18歳の夏2016年7月前述の金沢市内の興行でバンタム級王座獲得したフィリピン人の返上に伴い、前述の帝尊もノンタイトル戦出場の六島ジム主催興行にて決定戦制し2度防衛し返上。西日本協会代表経験者アポロ嘉男経営のジムのホープ上原拓哉は21歳誕生日数か月後2016年12月フェザー級王座決定戦制したが初防衛成功し返上。西日本協会加盟姫路木下ボクシングジム所属の清瀬天太は21歳誕生日数か月後2017年11月スーパーバンタム級王座決定戦制したが初防衛せずに返上。


後の西部日本協会代表平仲信明経営のジムのホープ荻堂盛太は2017年1月拳四朗が返上したライトフライ級王座決定戦でフィリピン人と10R引分。同試合の2か月後に荻堂が、4か月後にフィリピン人が24歳誕生日迎えたが両選手再挑戦の機会得ずに引退(そのフィリピン人は2014年3月にタイ国内で自身より2歳上の同国のホープノックアウト・CPフレッシュマートの持つWBCユース世界ミニマム級王座挑戦しKO負。王者ノックアウトは国技ムエタイのルンピニースタジアム王者から国際式転向で22歳誕生日の3か月前に2012年6月のデビュー戦が同王座決定戦で別のフィリピン人に6R負傷判定勝、史上最多ユース世界王座7連続防衛を果たした。)。西部日本協会加盟・広島拳闘会のホープ池間亮弥は成人式の数か月後に20歳で2018年4月(前述の拳四朗返上で荻堂VSフィリピン人が引分で空位の)ライトフライ級王座決定戦制し初防衛せずに返上。

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新元号・令和に改元の2019年5月1日以降のJBC管轄興行でWBCユース世界王座挑戦した各地区の日本協会加盟ジム所属A級ボクサー

2025年9月末まで。下記の6名は全員日本国籍保持者でユース世界王座挑戦時点で24歳未満であり、獲得した4名も野崎や丸木のように24歳誕生日過ぎての防衛戦はしていない。

(19年5月1日以降にJBC海外遠征承認得てWBCユース世界王座挑戦した各地区の日本協会加盟ジム所属A級ボクサー、あるいはWBCユース世界王座挑戦したJBC管轄外の日本人選手は皆無)

  • 加納陸(2019年5月前述の池間が返上したライトフライ級王座決定戦を2連敗中で通算4勝10敗1分で同月1日24歳の誕生日迎えたオーバーエイジのインドネシア人相手に圧勝で制し初防衛せずに返上)
  • 尾崎優日(2024年4月前述の西日本協会加盟・大成ボクシングジムの先輩・加納が返上したライトフライ級王座決定戦制した2度防衛中の現役王者)
  • 佐野遥歩(2024年6月スーパーフライ級王座決定戦制した初防衛戦せず返上)
  • 宮澤蓮斗(2025年8月自身の所属先の中日本協会や愛知県内や名古屋市内では老舗松田ボクシングジムの偉大な先輩の畑中がプロモーターたる、同じく偉大な先輩の石原英康トレーナーの担任の生徒・建人のノンタイトル戦メイン興行でミニマム級王座決定戦を26歳の誕生日を直前に控えたオーバーエイジのフィリピン人と8回戦で4R負傷引分)
  • 藤野零大vs犬塚音也(前述の宮澤VSフィリピン人のミニマム級決定戦の興行のセミファイナルで、前述の佐野が返上の空位のスーパーフライ級で2020年代唯一の各地区の日本協会加盟ジム所属選手同士の同タイトル戦であり史上初の日本人同士のユース世界王座決定戦を8回戦で実施。宮澤と犬塚は同い年22歳の同門、2学年下で成人式の7ヵ月後の藤野が2-1判定勝で制して同年11月地元・金沢市内の所属先カシミジム主催興行にて韓国人挑戦者と初防衛を予定)

脚注

関連項目

外部リンク

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