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リチャード・マークス

アメリカ合衆国の歌手、ソングライター (1963-) ウィキペディアから

リチャード・マークス
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リチャード・マークスRichard Marx1963年9月16日 - )は、アメリカシンガーソングライター音楽プロデューサー

概要 リチャード・マークスRichard Marx, 出生名 ...
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リチャード・マークス(2005年)
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人物

要約
視点

ソロ・デビュー前

作曲家の父、ディック・マークスとその妻で歌手のルース・マークスの間に生まれる。19歳の頃、マークスのデモ・テープを聴いたライオネル・リッチーに認められて、ロサンゼルスに移住しアルバム『ライオネル・リッチー』(1982年)のレコーディングに参加した[2]。その後、リッチーの紹介でケニー・ロジャースのバックアップ・シンガーとなり、さらにロジャースと共作も始め[3]、2人が共作した「クレイジー」は、1984年にロジャースの歌唱で『ビルボード』カントリー・シングル・チャート1位を獲得した[4]

デビュー・スターダムへ

1987年、アルバム『リチャード・マークス』でデビュー。デビューシングルとなった「ドント・ミーン・ナッシング」がいきなり全米チャートの3位に入るヒットとなり、大きな注目を集める。その後、アルバムからシングルカットされた「君を知りたい (シュドヴ・ノウン・ベター)」「エンドレス・サマー・ナイツ」も立て続けにチャートインさせ、4枚目の「ホールド・オン・トゥ・ザ・ナイツ」で遂に全米ナンバーワン(2週連続)を獲得した。これで完全にスターダムに乗り、セカンド・アルバム『リピート・オフェンダー』からは、「サティスファイド(2週連続)」「ライト・ヒア・ウェイティング(4週連続)」と前作を上回るビッグヒットを飛ばした。

「ライト・ヒア・ウェイティング」は、当時交際していた女優シンシア・ローズへのラブレターに曲をつけたもので[5]、自身最大のヒット曲となったことを契機にローズと結婚した(2014年に離婚)。初来日公演は1988年2月で、日本武道館での公演も行った。

転機

デビュー以来、立て続けにヒットを飛ばしたマークスは、1991年に満を持してアルバム『ラッシュ・ストリート』を発売。第1弾シングル「瞳の誘惑 (Keep Coming Back)」はあらゆるフォーマットのシングル・レコードが準備されるほどだった。また勝ち馬に乗りたいアーティストが録音や発売記念パーティに集合した。

しかしながら、このアルバムは前2作のようなヒットに結びつくことなく、ヒットチャートからすべり落ちた。第2弾シングル「ハザード」の後、「テイク・ジス・ハート」をシングルカットしたが、時既に遅かった。これ以降、1994年にシングル「ナウ・アンド・フォエヴァー」が全米7位になるヒットがあったものの、アルバムの成績は奮わなくなっていった。

1990年代半ばよりプロデューサーとしての仕事に重きを置くようになり、自らの創作活動や公演會は減っている。近年では、アイドル・グループのイン・シンクバックストリート・ボーイズに曲を提供。1996年には日本の歌手CHAGE&ASKAの楽曲を世界中の一流歌手が歌唱する尊敬企画アルバム『one voice THE SONGS OF CHAGE&ASKA』に参加。マークスが担当した「Heart of My Own」は英国盤には収録されていないが、日本盤の追加曲として収録されており、その縁で翌年に発表した「Every Day Of Your Life」はASKAとのデュエット曲となっている。

2004年には、ルーサー・ヴァンドロスの「Dance With My Father」をヴァンドロスと共作し、グラミー賞最優秀楽曲を受賞した。

2006年にはリンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンドのメンバーに名を連ねた。

2014年のアルバム『Beautiful Goodbye』は全米39位、インディペンデント・アルバム・チャートで6位を記録し、20年ぶりの全米トップ40アルバムとなった[6]

家族

1989年1月8日にシンシア・ローズと結婚。Brandon(1990年生まれ)、Lucas(1992年生まれ)、Jesse(1994年生まれ)の3人の息子がいる。 2014年4月に離婚を発表。2015年12月23日、自身のFacebook上でデイジー・フエンテスとの結婚を発表した。[7]

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ディスコグラフィ

スタジオ・アルバム

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コンピレーション・アルバム

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シングル

  • 「ドント・ミーン・ナッシング」 - "Don't Mean Nothing" (1987年) ※全米3位
  • 「君を知りたい (シュドヴ・ノウン・ベター)」 - "Should've Known Better" (1987年) ※全米3位
  • 「エンドレス・サマー・ナイツ」 - "Endless Summer Nights" (1988年) ※全米2位
  • 「ホールド・オン・トゥ・ザ・ナイツ」 - "Hold On To The Nights" (1988年) ※全米1位
  • 「サティスファイド」 - "Satisfied" (1989年) ※全米1位
  • 「ライト・ヒア・ウェイティング」 - "Right Here Waiting" (1989年) ※全米1位、全英2位
  • 「アンジェリア」 - "Angelia" (1989年) ※全米4位
  • 「さよならはもう言えない」 - "Too Late To Say Goodbye" (1990年) ※全米12位
  • 「チルドレン・オブ・ザ・ナイト」 - "Children Of The Night" (1990年) ※全米13位
  • 「瞳の誘惑」 - "Keep Coming Back" (1991年) ※全米12位
  • 「ハザード」 - "Hazard" (1992年) ※全米9位
  • 「テイク・ジス・ハート」 - "Take This Heart" (1992年) ※全米20位
  • 「チェインズ・アラウンド・マイ・ハート」 - "Chains Around My Heart" (1992年) ※全米44位
  • 「ナウ・アンド・フォエヴァー」 - "Now and Forever" (1994年) ※全米7位。映画「ゲッタウェイ」主題歌
  • "The Way She Loves Me" (1994年) ※全米20位
  • 「サイレント・スクリーム」 - "Silent Scream" (1994年)
  • "Until I Find You Again" (1997年) ※全米42位
  • "At The Beginning" (1997年) ※全米45位 ※with ドナ・ルイス
  • 「Every Day Of Your Life」 - "Every Day Of Your Life" (1997年) ※with ASKA
  • "Days In Avalon" (2000年)
  • "When You're Gone" (2004年)
  • "Ready to Fly" (2004年)
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日本公演

1988年
1989年
  • (詳細不明)
1994年
  • (詳細不明)
2012年
  • 10月19日 - 20日 Billboard Live(東京)
  • 10月22日 Billboard Live(大阪)
2016年
2023年

脚注・出典

外部リンク

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