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リー男爵 (Leigh)
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リー男爵(英: Baron Leigh)は、イギリスの男爵、貴族。これまでに2度創設されており、1期目はイングランド貴族として、2期目は連合王国貴族としての叙爵である。いずれもリー家に対するものであり、後者が現存する。
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歴史
第1期(1643年)

リー家の歴史は長く、16世紀中葉にまで遡ることができる旧家である[1]。
一族のサー・トマス・リー(?-1571)はロンドン市長を務めた商人であった[2]。その彼の次男にあたるトマス・リー(?-1626)は、1611年にイングランド準男爵として(ウォリック州ストーンリーの)準男爵(Baronet, of Stoneleigh in the County of Warwick)に叙された[1]。
その息子である2代準男爵トマス(1595–1672)はイングランド内戦期において、騎士党の政治家として活動した。彼は1643年にイングランド貴族としてウォリック州ストーンリーのリー男爵(Baron Leigh, of Stoneleigh in the County of Warwick)に陛爵した[3]。
初代男爵は息子に先立たれていたため、その孫のトマスが2代男爵位を襲った[3]。
以降も2代男爵の系統で続いたが、彼のひ孫にあたる5代男爵エドワード(1742-1786)が生涯未婚のまま死去したため、男爵位と準男爵位は廃絶となった[4]。
第2期(1839年)
現存するリー男爵家は、詩人シャンドス・リー(1791-1850)が1839年5月11日に連合王国貴族としてウォリック州ストーンリーのリー男爵(Baron Leigh, of Stoneleigh in the County of Warwick)に叙されたことに始まる[5][6][7]。
初代男爵シャンドスは、先述のサー・トマス・リー(?-1571)の長男ローランドの子孫にあたっている[8]。
2代男爵ウィリアム(1824–1905)は枢密顧問官(PC)やウォリックシャー統監を務めたが、長男のギルバートが狩猟中に事故死したため、彼の孫のフランシスがその後を襲った[9][6]。
3代男爵フランシス(1855-1938)には子がなかったため、甥のルパートが爵位を相続した[6]。
以降は4代男爵ルパート(1908-1979)の系統による男系継承が続いており、彼の孫にあたる6代男爵クリストファー(1960-)が現当主である[6]。
一族の邸宅は、 ウォリックシャー州 ケニルワース近郊のストーンリー・アビー(Stoneleigh Abbey)。
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一覧
(ストーンリーの)準男爵(1611年)
- 初代準男爵サー・トーマス・リー(?-1626)
- 第2代準男爵サー・トマス・リー(1595–1672)(1643年にリー男爵位創設)
リー男爵(第1期;1643年)
リー男爵(第2期;1839年)
- 初代リー男爵シャンドス・リー (1791–1850)
- 第2代リー男爵ウィリアム・ヘンリー・リー (1824–1905)
- ギルバート・ヘンリー・シャンドス・リー閣下 (1851–1884)
- 第3代リー男爵フランシス・ダドリー・リー (1855-1938)
- 第4代リー男爵ルパート・ウィリアム・ダドリー・リー (1908–1979)
- 第5代リー男爵ジョン・ピアーズ・リー (1935–2003)
- 第6代リー男爵クリストファー・ダドリー・ピアーズ・リー(1960-)
爵位の推定相続人は現当主の息子である ルパート・ダドリー・リー閣下(1994-)。
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脚注
関連項目
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