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ルキウス・ウァレリウス・ポティトゥス (紀元前483年の執政官)
共和政ローマの政治家、軍人 ウィキペディアから
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ルキウス・ウァレリウス・ポティトゥス(ラテン語: Lucius Valerius Potitus)は共和政ローマ初期の政治家・軍人。紀元前483年と紀元前470年に執政官(コンスル)を務めた。
出自
パトリキ(貴族)であるウァレリウス氏族の出身。父は紀元前505年の執政官マルクス・ウァレリウス・ウォルススである[1]。
経歴
紀元前485年にカエソ・ファビウス・ウィブラヌスと共にクァエストル・パッリキディ(財務官であるが、初期においては訴追権を持っていた)に就任。両クァエストルは前年の執政官であり、土地分配法を提案したスプリウス・カッシウス・ウェケッリヌスを王位を狙ったとして告発した[2]。ウェケッリヌスは有罪となり処刑されたが、この裁判で果たした役割のためにプレブス(平民)の間では不人気となった。しかしながら、ポティトゥスは紀元前483年の執政官に選ばれ、さらには紀元前470年にも二度目の執政官を務めている[3]。
紀元前483年の執政官の同僚はマルクス・ファビウス・ウィブラヌスであった。ティトゥス・リウィウスによれば、この数年間護民官はその権力を拡大しようとしていたが、元老院がこれを押し留めていた[2]。
紀元前470年の執政官に際には、アエクイに対する戦争の指揮を執った。彼はアエクイ軍野営地への攻撃を試みるも失敗、代わりにアエクイ領を略奪してローマに帰還している[4]。
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脚注
参考資料
関連項目
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