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レクシー・トンプソン

アメリカの女性プロゴルファー (1995-) ウィキペディアから

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アレクシス・ノエル・「レクシー」・トンプソン( Alexis Noel "Lexi" Thompson 、1995年2月10日生まれ)は、LPGAツアー米国人女子プロゴルファー。12歳で全米女子オープン本選で予選通過した。2010年に15歳でプロ転向した[1][2]。2011年9月18日、16歳7カ月8日で LPGA ツアー(ナビスターLPGAクラシック、Navistar LPGA Classic)で初優勝し、LPGAツアー最年少優勝の記録を塗り替えた[3]。3カ月後の12月17日[3]女子ヨーロピアンツアー (Ladies European Tour, LET) のドバイレディースマスターズ (Dubai Ladies Masters) で2位に4打差をつけて優勝し、LET の最年少記録での優勝となった(後年この記録は更新され現在は2番目)。2014年にはクラフトナビスコ選手権に優勝したが、この時彼女は19歳1カ月27日で、これも最年少でのメジャー選手権優勝記録となった(2019年現在は5番目)[4]

2024年5月28日、SNSを通じて「今季限りでの現役引退」を発表した[5]

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プロでの成績

要約
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2010年

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Lexi Thompson, 2013

トンプソンは、2010年6月16日にプロになったと発表した。彼女は、コブラプーマゴルフ(Cobra-PUMA Golf) およびレッドブル (Red Bull) とスポンサー契約を締結した[2][6]

この時点でのトンプソンはLPGAツアーのメンバーとしての公式の地位を欠いており、トーナメント本選に出場するにはスポンサーによる予備予選免除(招待)枠の適用に大きく依存しなければならなかった。最初のスポンサーによる予備予選免除は、ショップライト (ShopRite) LPGAクラシックへの出場だった。そこで彼女は4ストローク差で予選落ちした[7]

5月にフロリダで開催された予備(セクショナル)予選にエントリーしてこれを通過、7月8日から11日まで本選が行われる全米女子オープンに出場した。ここで首位のポーラ・クリーマーから9打差の10位タイでフィニッシュし、+ 6(73-74-70-73 = 290)、初めてのプロ賞金72,131ドルを得た[8]

2週間後、エビアンマスターズで、トンプソンは首位に1打差の2位タイ、-13(69-72-67-67 = 275)で終え、242,711ドルを稼いだ。 3回のプロトーナメントで得た合計賞金額は314,842ドルで、仮に彼女が LPGA ツアーのメンバーだった場合、公式 LPGA 賞金リストで18位にランクされていたことになる。エビアンマスターズの結果により、彼女は女性の世界ゴルフランキングが75位上昇して74位になった[9]。彼女は2010年のLPGAツアーでさらに3つのトーナメントをプレーし、カナディアン女子オープンでは予選落ちしたが、残りの2つの大会は16位タイと57位タイでフィニッシュした。

LPGAへの請願

2010年の12月、LPGA に対して、2011年に行われるトーナメントについて、これまでの LPGA ルールでは非会員は6試合までしか出場が許されないとされているところを、スポンサー予備予選免除枠を使って最大12トーナメントの出場を許可してほしい、との請願を行った。2011年1月、コミッショナーであるマイク・ワンはこの請願を却下したが、代わりに非会員でもマンデークォリファイイングには参加できるようにルールを改正した。このことで2011年に(マンデーで上位に入れば)12を超える数のトーナメントの本選に出場するチャンスが得られることになった[10]

2011年 – 2013年

トンプソンは2010年10月、フュージョンマイナーリーグゴルフツアー (Fuzion Minor League Golf Tour) という団体が主催する、男子の育成目的の(1日だけの)ワンデートーナメントに出場し始めた。ここでは女子プレーヤーは男子の平均94%の距離のティーからプレーした[11]。2011年2月には女子のツアーに戻り、オーストラリアン女子オープンANZレディーズマスターズに出場し、前者では予選落ち、後者では42位タイの成績だった。米国に戻り2月21日にはホームコースであるコーラルスプリングスで行われたフュージョンツアー(一日大会)でデビッド・バーガーロンとのプレーオフを2ホール目で制して優勝。これが彼女のプロ転向後の初勝利となった[11]。3月、LPGAキアクラシックではマンデーから参戦したが本選出場はならなかった[12]

2011年初めてのLPGAトーナメントはAvnet LPGA Classicで、これはスポンサー枠の予備予選免除で本選出場した。3ラウンド終了時には首位のキム・ソンヒー (Song-Hee Kim) と並んでいた。日曜日、14番15番を連続ボギーし78を叩き、最終的には首位(マリア・ヨース、Maria Hjorth)から9打差の19位タイとなった[13]。ShopRite LPGA Classicでは予選落ちした。全米女子プロゴルフ選手権と全米女子オープンはマンデーから挑戦したがいずれも本選出場できなかった。LPGA ツアー 5試合目のエビアンマスターズでは36位タイでフィニッシュした。春から夏にかけてはフュージョンツアーに継続的に参加していた。8月にセーフウェイクラシックで31位タイ、次いでカナディアン女子オープンは予選落ち。9月になってNavistar LPGA Classicで16歳で初優勝し、これは1952年にマレーナ・ハッジが18歳で初優勝したLPGAツアーの記録を塗り替えるものだった[14]。彼女の記録は11か月後のカナディアン女子オープンで優勝したリディア・コ(15歳)に塗り替えられる。

2011年12月17日、ヨーロピアンレディースツアー (Ladies European Tour, LET) のドバイレディースマスターズで2位に4打差をつけて優勝。このとき16歳だったが、LET の最年少優勝記録となった[15]

2012年の LPGA メンバーシップ

LPGAツアーのメンバーになるには18歳以上でなければならないというルールの除外を求めた請願に成功し、2011年のクォリファイイングスクール(Qスクール)に参加して勝ち上がれば2012年ツアーの出場権を得ることが可能となった。3段階のQスクールの最初のステージ (Stage I) は2011年7月26日から29日にデイトナビーチのLPGAインターナショナルコースで行われ、ここで2位に10打差の-23でトップ通過した。ステージIの上位50位(およびタイ)がステージIIに進出できるが[16]、その前にナビスターLPGA (Navistar LPGA) に優勝した。このためステージIIを放棄し[17]、LPGAに対してこのナビスターの優勝を以てメンバーシップが得られるよう請願を行った。この請願は9月30日に承認され、晴れて2012年のツアーに参戦できるようになった[18]

この後の10月にはSime Darby LPGA Malaysia(LPGAツアー2勝目)、11月にはロレーナオチョア招待と2つのLPGAツアー大会に優勝(LPGAツアー3勝目)した。

2014年

トンプソンの LPGA ツアー4勝目はクラフトナビスコ選手権で、初めての女子メジャー大会優勝となった。優勝当時で最年少に次ぐ2番目の若さでの女子メジャー勝利だった[19]

2015年 – 2016年

LPGAツアー5勝目と6勝目はそれぞれMeijer LPGA ClassicとLPGA Hana Bank Chapionshipだった。これがベストシーズンで、1,763,904ドルの賞金額はリスト5位だった。2016年には Honda LPGA Thailandで7勝目を挙げた。同年、日本にも LPGA という名称のゴルフ統括組織があり、このツアーに参戦し、World Ladies Championship Salonpas Cup に優勝した。ウォーバーンゴルフアンドカントリークラブにおける全英女子オープンでは自己ベストの8位タイでフィニッシュした。

2017年

この年はPure Silk-Bahamas LPGA Classicの出場からスタートしたが、第2ラウンドでは12アンダーパーの61で回った。大会はブリタニー・リンシコムがプレーオフの最初のホールでバーディーを取り優勝した。LPGAツアー8勝目はKingsmill Championshipで達成。

4月のANAインスピレーションでは、第3ラウンドの17番ホールでボールのリプレース方法を誤り4打罰を科された[20]。テレビで観戦していた視聴者からの通報でこのことが発覚した。それでも最終日にプレーオフに持込むことができたが、最終的にはリュウソヨンに負けた[21]

9月9日、Indy Women in Tech Championship でLPGAツアー9勝目を挙げた。

シーズン終盤のCMEグループ・ツアー選手権の最終日18番ホールで2フィートのパットを外し、2連続バーディーを取ったアリヤ・ジュタヌガーンに負けた。だがCME Globe のレースでは依然首位に留まることができたので、賞金の100万ドルを得ることができた[22]

2018年

2018年の全英女子オープンを途中棄権した後、1ヵ月間 LPGA ツアーから離れた。インスタグラムには、「このところ長いこと自分が自分でないように感じていた」、「この時間をメンタルのバッテリー充電に使い、プロゴルフから距離を置いて自分自身を見つめなおします」と書いた[23]。休暇後、2試合連続で予選落ちしたが、シーズン終盤のCMEグループ・ツアー選手権で2位のネリー・コルダに4打差をつけて優勝した[24]。この勝利は最後のそれから1年以上経過していたが、プロになって10回目の勝利であり、500,000ドルの賞金を獲得した。

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プロ優勝 (14)

要約
視点

LPGAツアー (11)

Legend
Major championships (1)
Other LPGA Tour (10)
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LET (1)

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日本ツアー (1)

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その他 (1)

2011 TPC February Shootout (Fuzion Minor League Golf Tour)

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脚注

関連項目

外部リンク

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