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ワウド・マシャド・ダ・シウヴァ

ブラジルのサッカー選手 ウィキペディアから

ワウド・マシャド・ダ・シウヴァ
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ワウド・マシャド・ダ・シウヴァWaldo Machado da Silva1934年9月9日 - 2019年2月25日)は、ブラジルニテロイ出身の元サッカー選手、元サッカー指導者。ポジションはフォワードだった。

概要 ワウド・マシャド, 名前 ...

ワウド・マシャドがリーガ・エスパニョーラ時代に決めた115ゴールという記録は、ロナウドに塗り替えられるまで、スペイントップリーグにおけるブラジル人歴代最多得点だった。また、フルミネンセ在籍時に築き上げた319ゴールは同クラブにおける歴代最多得点である[2]

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クラブ経歴

リオデジャネイロ州ニテロイに生まれ、マドゥレイラECの下部組織を経て、同クラブで選手デビューを飾った[1]

1954年4月11日、国内の強豪フルミネンセFCに移籍した。フルミネンセにはおよそ9年間所属したが、その期間に公式戦319ゴールを決めている。このゴールは全てPK無しで達成しており、また、今でも破られていない、フルミネンセの歴代最多得点である[1]

1961年7月、交通事故によって他界したワウテル・マルシアーノ英語版の代役としてバレンシアCFに加入した[1]。バレンシアでも高い得点力も見せつけ、1966-67シーズンには32歳ながらリーグ戦30試合で24ゴールを挙げた。これにより、マシャドはピチーチ賞を獲得するとともに、同シーズンのカップ戦制覇に大きく貢献した。しかし、その2シーズン後から衰えによる不調が散見され、1969-70シーズン、リーグ戦で3ゴールしか挙げられなかったため、クラブを退団した。バレンシアでは通算297試合160ゴールを記録。

バレンシアを退団し、37歳となっていたマシャドは、エルクレスCFにて1シーズンのみプレーして現役を引退した。

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代表経歴

ブラジル代表通算5試合2得点。この5試合はいずれも大西洋カップ英語版で記録したものであり、この5試合ブラジル代表は無敗だった[3]

代表ゴール

さらに見る #, 日付 ...

人物

弟のワンデルレイ・マシェドも同じくサッカー選手であり、主にスペインレバンテUDマラガCFなどでプレーした[5]

死去

2019年2月25日、アルツハイマー病との長い闘病の末死去。享年84歳[6]

タイトル

クラブ

フルミネンセFC
バレンシアCF

代表

ブラジル代表
  • 大西洋カップ : 1回 (1960)

個人

脚注

外部リンク

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