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ワシントン・キャピタルズ

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ワシントン・キャピタルズ
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ワシントン・キャピタルズ(Washington Capitals)は、アメリカ合衆国ワシントンD.C.を本拠としているナショナルホッケーリーグNHL)所属のプロアイスホッケーチームである。愛称は、キャップス (Caps) 。

概要
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歴史

要約
視点

ワシントン・キャピタルズは、1975 - 1976 シーズン からNHLに参戦したが、いきなり80試合67敗、おまけにロードゲームでは僅か1勝と不名誉なリーグ記録を作ってしまった。1970年代は不遇のシーズンを重ね、1983年にデニス・マルク(Dennis Maruk)、 マイク・ガートナー (Mike Gartner) 及びボビー・カーペンター (Bobby Carpenter) の爆発的なゴールラッシュで初めてプレーオフ進出を果した。しかし、結局この年のスタンレー・カップ覇者となるニューヨーク・アイランダースの前に第1ラウンドで姿を消した。 

このあとチームは14年連続でプレーオフに参加するが、結局毎年悲嘆をかこつことになる。1980年代のキャピタルズはレギュラーシーズンではそこそこの成績を収めるのであるが、「がっかりさせるやつら(choker)」との評判を拭い去ることはできなかった。 ガートナー 、カーペンター 、マイク・リドリー (Mike Ridley) 、デイブ・クリスチャン (Dave Christian) 、 ディーノ・シサレッリ(Dino Ciccarelli )、ロッド・ラングウェイ(Rod Langway)あるいはケヴィン・ハッチャー(Kevin Hatcher)といった綺羅星のごとき選手を取り揃えながら、当時はプレイオフでも第2ラウンドに進出したのは僅か1回だけ、1990年のウェールズ地区決勝でもボストン・ブルーインズに4連敗で軽くいなされてしまう。

1990年代半ばには、キャピタルズはスタンレー・カップへの出場機会をなんとしても得ようと、無駄と思えるあがきを行う。上り調子にあった右ウイングのピーター・ボンドラ(Peter Bondra) 、ディフェンスのセルゲイ・ゴンチャー(Sergei Gonchar) 、センターのジョー・ジュノー(Joe Juneau) (1994にブルーインズから移籍したときには、既に往年の力はなかった。)らはいたものの、チームの主力選手は既に盛りを過ぎたベテランばかりであった。1993年のプレーオフ対ニューヨーク・レンジャース戦では、チーム史上でも最悪の事態が起こる。デイル・ハンター(Dale Hunter)がシリーズ勝利を決める得点を上げた後で、ピエール・タージョン(Pierre Turgeon)に対し悪質な打撃を加えたとして21試合の出場停止処分となってしまうのであった。

しかし、キャピタルズは1998年についに "chorker" のイメージを払拭することをやってのけた。ボンドラが52ゴールを上げチームの牽引車となり、ベテランのジュノー、アダム・オーツ (Adam Oates) が十分にその持ち味を発揮、そしてゴーリーのオラフ・コルジグ(Olaf Kolzig)がセーブ率 .920 を上げ、ブルーインズ、オタワ・セネターズバッファロー・セイバーズ(第6戦で劇的な再延長ゴール)を連破、ついにチーム史上初のスタンレー・カップ決勝に辿り着いた。しかし、決勝では圧倒的なデトロイト・レッドウィングスの前になすすべなく、4連敗で敗退した。 

1999年には、前年度の強さを失い元の弱小チームに戻って、プレーオフに進出できず。その後も2年間はともに第1ラウンドでピッツバーグ・ペンギンズの前に敗退した。2001年の夏には、1990年代のNHLを代表するスター選手、ヤロミール・ヤーガー (Jaromir Jagr) を破産寸前の騒動が起こったペンギンズから獲得した。この新戦力にも拘らず2002年はプレーオフ進出を逃した。

2002年のオフシーズンにもキャピタルズは、フリーエージェントで評価の高かったロバート・ラング (Robert Lang) を獲得するなど登録選手の入れ替えを図る。2003年は、再びプレーオフ出場するが、第1ラウンドでタンパベイ・ライトニングに序盤2連勝と好スタートを切るが、その後に4連敗を喫しまたしても、ファンを失望させた。

2004年の前半、チームは経費節減のため高給選手の大量放出に踏み切る。 ヤロミール・ヤーガーはレンジャーズに、その後すぐにボンドラをオタワ・セネターズにトレードで放出する。また、ロバート・ラングはデトロイトに、ゴンチャーはボストンに移籍させた。なお、ロバート・ラングの放出については、シーズン中盤でのチーム得点王の移籍であり、NHL史上類を見ない出来事である。

2004年のNHLドラフトでは、全体1位指名権を獲得し、ロシアの天才アレクサンドル・オベチキン(Alexander Ovechkin)を選択した。2004-2005シーズンは2004年から2005年のNHLロックアウトでNHLの全試合が中止となったため、オベチキンは母国ロシアで、同僚の若きスター、アレクサンダー・セミン(Alexander Semin)(2004年に19歳でキャピタルズ加入)とプレーしていた。またコルズィグ 、ブレンダン・ウィット(Brendan Witt)、ジェフ・ハルパーン(Jeff Halpern)ら他の選手も、ヨーロッパでプレーをした。

2005年もチームは不振を極める。1998年のファイナル進出時のメンバー二人のうちの一人、ウィトがトレード志願でナッシュビル・プレデターズにトレードされるなどチームは低迷し続けたが、オヴェチキンが期待を裏切らずに新人王を獲得した。 2006年にはキャプテンだったハルパーンまで抜けた上、オベチキンが昨年ほどの成績を残せなかった。

2007-08シーズンを控えキャピタルズはチームロゴ、ユニフォームのデザインを過去のものをリファインしたものに変更した。 DFのトム・ポティ、FWのマイケル・ニーランダーなどを獲得し、オベチキンが自身最高となる65ゴール112得点、彼のラインメート、トレード期限間際で獲得したクリストバル・ヒュエ (Christobal Huet)の活躍もあり、チームは実に5年ぶりにプレーオフ出場を果たした。

2008-09シーズンはオヴェチキンが50ゴールを連続で達成しただけでなく、ディフェンスマンのマイク・グリーンが30ゴールを突破(ディフェンスマンで30ゴールを突破するのはまさに偉業である)。地区1位の活躍で、プレーオフ出場を決めたが、2回戦でシドニー・クロスビーらペンギンスとの「夢の対決」に敗れ去った。また、コルジグが移籍したため、1998年ファイナル進出時のメンバーは誰一人としていなくなった。

2009年12月、キャプテンのクリス・クラーク(Chris Clark)がトレードされ、オベチキンがついにキャプテンに任命された。この年は圧倒的な強さを見せ、会長賞 (President's trophy) を獲得したが、プレーオフではモントリオール・カナディアンズにまさかの1回戦敗退を喫した。翌2010-11年は、守備面を強化。一時は8連敗など不振に沈み、オベチキンはキャリアワーストの1年を過ごしてしまったが、またしても東カンファレンス1位の座を射止めた。

2017-18シーズンではプレーオフ決勝でタンパベイ・ライトニングに4勝3敗で2度目のカンファレンス王者となる。スタンレーカップファイナルではベガス・ゴールデンナイツを4勝1敗で破り、初のスタンレー・カップ優勝を果たした。

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年度別成績

GPWLTOLGFGAPTS最終順位プレイオフ
1974-1975808675-18144621ノリス5位不出場
1975-197680115910-22439432ノリス5位不出場
1976-197780244214-22130762ノリス4位不出場
1977-197880174914-19532148ノリス5位不出場
1978-197980244115-27333863ノリス4位不出場
1979-198080274013-26129367パトリック5位不出場
1980-198180263618-28631770パトリック5位不出場
1981-198280264113-31933865パトリック5位不出場
1982-198380392516-30628394パトリック3位地区準決勝敗退
1983-19848048275-308226101パトリック2位地区決勝敗退
1984-19858046259-322240101パトリック2位地区準決勝敗退
1985-19868050237-315272107パトリック2位地区決勝敗退
1986-198780383210-28527886パトリック2位地区準決勝敗退
1987-19888038339-28124985パトリック2位地区決勝敗退
1988-198980412910-30525992パトリック1位地区準決勝敗退
1989-19908036386-28427578パトリック3位カンファランス決勝敗退
1990-19918037367-25825881パトリック3位地区決勝敗退
1991-19928045278-33027598パトリック2位地区準決勝敗退
1992-19938443347-32528693パトリック2位地区準決勝敗退
1993-199484393510-27726388アトランティック3位カンファランス準決勝敗退
1994-19954822188-13612052アトランティック3位カンファランス準々決勝敗退
1995-199682393211-23420489アトランティック4位カンファランス準々決勝敗退
1996-19978233409-21423175アトランティック5位不出場
1997-199882403012-21920292アトランティック3位スタンレー・カップ決勝敗退
1998-19998231456-20021868南東3位不出場
1999-2000824424122227194102南東1位カンファランス準々決勝敗退
2000-200182412710423321196南東1位カンファランス準々決勝敗退
2001-200282363311222824085南東2位不出場
2002-20038239298622422092南東2位カンファランス準々決勝敗退
2003-200482234610318625359南東5位不出場
2005-2006822941-1223730670南東5位不出場
2006-2007822840-1423528670南東5位不出場
2007-2008824331-824223194南東1位カンファランス準々決勝敗退
2008-2009825024-8272245108南東1位カンファランス準決勝敗退
2009-2010825415-13318233121南東1位カンファランス準々決勝敗退
2010-2011824823-11224197107南東1位カンファランス準決勝敗退
2011-2012824232-822223092南東2位カンファランス準決勝敗退
2012-2013482718-314913057南東1位カンファランス準々決勝敗退
2013-2014823830-1423524090メトロポリタン5位不出場
2014-2015824526-11242203101メトロポリタン2位カンファランス準決勝敗退
2015-2016825618-8252193120メトロポリタン1位カンファランス準決勝敗退
2016-2017825519-8263182118メトロポリタン1位カンファランス準決勝敗退
2017-2018824926-7259239105メトロポリタン1位スタンレー・カップ獲得
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スタンレーカップ戦績

優勝

2017-2018

準優勝

1997-1998

外部リンク

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