トップQs
タイムライン
チャット
視点
三十七道品
仏教において菩提に至るための三十七の修行法 ウィキペディアから
Remove ads
三十七道品(さんじゅうしちどうほん)とは、初期アビダルマの時代に体系化された、仏教において菩提(悟り)に至るための三十七の修行法(修習・実践)のこと[1]。菩提分法(ぼだいぶんぽう、巴: bodhipakkhiyā dhammā[2])、三十七法(sattatimsa dhamma[2])三十七品、三十七分法、三十七菩提分法(sattatimsa bodhipakkhiya dhamma[1])、三十七覚分ともいう[3]。四念住・四正断・四神足・五根・五力・七覚支・八正道の七科に分かれる[1][4]。
道(Magga)とは解脱への道、涅槃を求める者が探求されるべきこと[2]。分(パーリ語: pakkhiyā)とはパーリ語: pakkhaまたはサンスクリット: paksaに由来し、鳥の翼を意味する。これから派生したパーリ語: pakkhiyaまたはサンスクリット: paksya、paksikaとは親族の支援であり、転じて助けと利益を意味する。
三十七道品という概念は原始仏教時代から後世に成立したものであり[4]、漢訳の中阿含経から見られるが、該当するパーリ語長部には三十七の数は出現しない[5][6]。清浄道論に記載されるように[2]、三十七とは各々別々に説かれた内容(七科)をひとまとめにし、その各項目を合計して総称しただけのものなので[1]、内容的には重複している部分も多く[2]、特に後の五科は概ね同じ内容を表している。
Remove ads
内容
要約
視点
昭和期に活躍した仏教学者の中村元は、『パーリ仏典』は釈迦の死後に、釈迦が神格化されていく過程で段階的に発展・成立したとする説を唱え、『パーリ仏典』収録経典を「最古層」「古層」「新層」に分類した[7]。中村説は日本仏教学界で大きな影響力を持つに至った。
釈迦の死後、輪廻から解脱し涅槃に至るのための修行マニュアルがしだいに整備されていった過程を、中村説を踏襲する並川孝儀は以下のように推定している。
三十七道品、つまり悟りのための37種類の実践修行は、以下のように段階的に成立したとする。
- 最古層経典:修行法はほぼ「戒」や「定」や「慧」に該当する内容で占められる。
- 古層経典:新たな修行法もみられるようになる。その代表的な修行法が七種の修行法(三十七道品)である。中でも「五根」が最も早くみられ、続いて「八正道(八聖道)」が「四諦(四聖諦)」と一体で説かれる。
- 新層経典:新たに「四念処」「四正勤」「四神足」「五力」「七覚支」という修行法が説かれる。
つまり三十七道品は釈迦の「金口直説(こんくじきせつ)」ではなく、後世の経典作者が、釈迦の言説や思想を発展させてつくりあげた教説であると主張している[8]。
一方、『パーリ仏典』段階発展説を否定する見解もある(仏教#釈迦の修行法も参照)。中村元は最古の経典と推定されるスッタニパータに仏教の基本教義が見えないことを理由に、『パーリ仏典』の教義や戒律などの大部分は釈迦入滅後に段階的に成立したとする説を唱えたが、清水俊史は言語学的にスッタニパータが最古層の仏典であることは認めるが、スッタニパータのような韻文は大衆向けの通俗的なもので仏教の教義を体系的に網羅したものではないので中村説は前提が誤っているとし、『パーリ仏典』に見られる教義や戒律は古くから存在するもので後年に段階的に発展したものではないとしている[9]。
大谷大学教授の新田智通は、スッタニパータが最古層の経典であることには同意しているが、中村元の他の分類に関しては「中村はゴータマ(釈迦)の神格化の過程を論証したのではなく、ただ自分自身の設けた判断基準にしたがって分類したに過ぎない」と辛辣に批判している[7]。
Bhāvanaṃ anuyuttassa bhikkhave, bhikkhuno viharato kiñcāpi na evaṃ icchā uppajjeyya: aho vata me anupādāya āsavehi cittaṃ vimucceyyāti, atha khvassa anupādāya āsavehi cittaṃ vimuccati.
Taṃ kissa hetu: bhāvitattātissa vacanīyaṃ. Kissa bhāvitattā:
catunnaṃ satipaṭṭhānānaṃ, catunnaṃ sammappadhānānaṃ, catunnaṃ iddhipādānaṃ, pañcannaṃ indriyānaṃ, pañcannaṃ balānaṃ, sattannaṃ bojjhaṅgānaṃ, ariyassa aṭṭhaṅgikassa maggassa.比丘たちよ、修習(バーヴァナー)を実践する比丘であれば、彼の心に「離貪し漏(āsrava)から解脱したい」との思いが起こらなくとも、彼の心は離貪し漏から解脱する。
それはなぜか。修習が達成されたからである。何の修習であるか?
四念処、四正勤、四神足、五根、五力、七覚支、八聖道である。
四念住(四念処)
→詳細は「四念処」を参照
四種の観想
- 身念住(体をあるがままに観察する)
- 受念住(受をあるがままに観察する)
- 心念住(心をあるがままに観察する)
- 法念住(法をあるがままに観察する)
四正断(四正勤)
→詳細は「四正勤」を参照
四つの努力[注釈 1]。
- 已生悪断(すでに生じた悪は除くように)
- 未生悪令不生(いまだ生じてない悪は生じないように)
- 未生善令生(いまだ生じていない善は生ずるように)
- 已生善令増長(すでに生じた善は増すように)
四神足(四如意足)
→詳細は「四神足」を参照
四つの自在力
- 欲(すぐれた瞑想を得ようと願う)
- 精進(すぐれた瞑想を得ようと努力する)
- 念(すぐれた瞑想を得ようと心を集中する)
- 思惟(すぐれた瞑想を得ようと智慧をもって思惟観察する)
五根
→詳細は「五根 (三十七道品)」を参照
五つの能力
五力
→詳細は「五力」を参照
五つの行動力
七覚支
→詳細は「七覚支」を参照
七つの悟りを構成するもの[11]。
八正道
→詳細は「八正道」を参照
八つの正しい行い
Remove ads
経典の記載
パーリ語経典長部の『大般涅槃経』では、死期が迫っていることをアーナンダに告げた釈迦が、ヴェーサーリー周辺の比丘たちを講堂に集めさせ、「清浄な行いが長く続くため、多くの人々の利益・幸福のため、多くの人々を憐れむため、人々と神々の幸福・利益のため」に、自分が知って説示してきた、そして、今後もよく保ち、実践・実修すべき「法」として、いわば遺言として挙げたものである(七科三十七道品とは述していない)[5][1][4]。
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads