トップQs
タイムライン
チャット
視点
三室戸和光
ウィキペディアから
Remove ads
三室戸 和光(みむろど まさみつ)は、江戸時代末期の公卿、明治から大正期の日本の華族、神職。位階爵位は従二位子爵。三室戸家8代当主。伊勢神宮大宮司。「和光」の読みを「かずみつ」と読むのは誤記。
![]() |

経歴
三室戸家は藤原北家真夏流日野流柳原庶流とされ、初め北小路を称したが寛文5年(1665年)、願いにより三室戸を家名とした。
天保13年(1842年)、6代当主・三室戸陳光の二男として誕生[1]。
継嗣となるはずだった三室戸雄光の長男・治光が平安神宮の宮司となる。各地の石碑に揮毫が残っている。
大正11年(1922年)、薨去。
系譜
- 父方伯父:三室戸陳光(1808-1886) 藤波家当主・藤波寛忠(正二位祭主神祇大副[2])の六男、三室戸家5代当主・三室戸能光(参議・従二位宰相[3])の養子。廷臣八十八卿の一人。
- 父:三室戸雄光(1822年生) - 陳光の弟[4]。桂宮淑子内親王祗候、京都宮殿勤番、殿掌(京都御所の保存と諸般の事務を司る職員)を務め、1884年に子爵を授かる[5]。妻の李子は葉室家30代当主・葉室顕孝の八女[4]。
- 正室:武者小路家(藤原北家閑院流)9代当主武者小路公香の長女・唯子(1851-1904)。甥に武者小路公共、武者小路実篤がいる[6]。
- 継室:鷲尾隆聚の四女・房
- 嫡男:三室戸治光(1849-1920)
- 生母不明の子女
- 孫:三室戸敬光 - 治光の長男。岳父に萩原員光。
脚注
参考文献
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads