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上段村
日本の富山県中新川郡にあった村 ウィキペディアから
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概要
村の広さは南北9㎞、東西1.5kmと細長いのが特徴であった。米や麦作のほか、産物として繭および薬品製造が行われた[1]。
沿革
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、上新川郡福田村、日中村、柴山村、野沢新村、日中上野村、上中村、下白岩村、石坂村、末上野村、長屋村、高原上白岩村、上小林村、新瀬戸村、上宮村、瀬戸新村、上末村、池田村、上瀬戸村、下瀬戸村、芦見村、下沢村及び中林新村の区域をもって、上新川郡上段村が発足する。当時の戸数は511戸、人口2,664人[1]。村役場は当初土肥豊亮宅に置かれたが、同年9月に日中上野村三俵山の新木理八宅、次いで須山五郎宅に移転した[2]。
- 1890年(明治23年)12月 - 福田二番割に役場を建築(それまでは民家を借用していた)[2]。
- 1896年(明治29年)3月29日 - 郡制の施行のため、上新川郡の区域から分立して、中新川郡が発足により、中新川郡に所属となる。
- 1922年(大正11年)1月1日 - 中新川郡釜ヶ淵村の区域の一部を編入する。
- 1935年(昭和10年) - この時点での人口は2,383人[1]。
- 1954年(昭和29年)1月10日 - 中新川郡雄山町、上段村、釜ヶ淵村、立山村、東谷村及び利田村が合併して、中新川郡立山町が発足する。
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歴代村長
出典→[3]
- 稲垣兼次郎(1889年7月16日 - 1897年7月14日)
- 小池義範(1897年7月15日 - 1901年7月14日)
- 小池義範(1901年7月15日 - 1905年7月14日)
- 小池義範(1895年7月15日 - 1907年10月1日)
- 幾島章生(1907年10月14日 - 1911年10月13日)
- 幾島章生(1911年10月18日 -1915年10月17日)
- 小池義範(1915年10月25日 - 1919年10月24日)
- 小池義範(1919年10月25日 - 1923年10月24日)
- 小池義範(1923年10月25日 - 1927年9月24日)
- 寺林耕多(1928年6月23日 - 1929年4月30日)
- 船見本右衛門(1929年5月1日 - 1933年4月30日)
- 船見本右衛門(1933年5月1日 - 1936年1月31日)
- 小池兼太郎(1937年2月2日 - 1941年2月1日)
- 小池兼太郎(1941年2月2日 - 1945年2月1日)
- 小池兼太郎(1945年2月2日 - 1946年6月13日)
- 松岡宗次(1946年6月26日 - 1946年11月22日)
- 西田作平(1947年4月6日 - 1951年4月4日)
- 釈永庄次郎(1951年4月27日 - 1954年1月10日)
参考文献
- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。
- 『統計たてやま 2013』立山町 2013年9月。
- 『立山町史 下巻』立山町 1984年2月15日。
脚注
関連項目
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