Loading AI tools
ウィキペディアから
世界観(せかいかん、独: Weltanschauung、英: worldview)とは、世界を一体的に意味づける見方[1]。一般に、人生観より広い範囲を包含し[1]、単なる知的な理解にとどまらず、より情意的な評価を含むものであり[1]、情意的な面、主体的な契機が重要視される[2]。
現代の日本では、漫画、アニメ、テレビゲームなどフィクション作品の舞台となる世界の設定という意味で誤用されることが多いが、人によってはフィクション作品の世界そのもの、あるいは作風や雰囲気といった意味で使う場合もある。
世界観とは、世界の意味を問うもので、たとえば「この世界は私にとってどんな意味があるのか」「この世界で私はどのような役割を果たしてゆくことが期待されているのか」「世界の中で人間はいかなる役割を果たせば意味があるのか」などの問いに答えようとするものである。したがって、世界観とは、世界に対する態度およびその表明であるとみなすこともでき、人生観や実際の生き方と結びついている。さらに「世界観」を背景にして、「理想」や「善」などの意志的側面、行動原則など実践の指針が与えられる。
世界観は哲学に限らず、神話、宗教、文学、美術などの領域でも見出される[3]。たとえば伝承、年中行事、祭礼、口承文学、絵画などにもあらわれる。具体的な例を挙げると、たとえばアイヌ民族に特有の世界観はユーカラやウエペケレなどの口承文芸にもあらわれているのである。世界観は歴史的に形成されてきたものであり、また、個人個人の人生においても転換の契機を有している。社会においても統合や対立、選択や分裂などの多様な諸相を含んでおり、世界観そのものも歴史をもつものである。
なお、「世界観」の語の最初の用例は、近代哲学においてドイツ観念論の大成者とされるイマヌエル・カントが『判断力批判』(1790年)の中で使用した用語 " Weltanschauung "(ドイツ語)の訳語(英: worldview, 仏: Weltanschauung、露: Мировоззрение)であった。したがって以下、近代哲学における世界観を念頭におきつつ解説する。なおドイツ語のWeltanschauung(世界観)という言葉が学問的な用語として頻用されるようになったのは20世紀初めのことである[3]。
オイケンの説明では、世界は科学的な把握を超えたものであるので、科学によって世界観を構成する(作りあげる)ことは不可能である[4]。情意的な面が不可欠なのである。ヤスパースは次のように説明した。「我々が世界観と言う時、それは主体的には体験と力と信条として、客体的には対象的に形成された世界として、さまざまな力や理念、いずれにしても人間の究極かつ全体的なものを意味をする。[4]」
(情意的な面が重要なわけなので)楽天主義・厭世主義・宿命論・宗教的世界観・道徳的世界観といった立場(分類)を挙げることができる[1]。
「ギリシア的」 / 「キリスト教的」と分類する研究者もいる。「アポロ的」 / 「ディオニュソス的」と分類する研究者もいる[4]。
歴史(歴史学)を鍵に、「古代的」「中世的」「近代的」と分類する人もいる[4]。(20世紀では)「ブルジョア的」/「プロレタリア的」と分類されることも多かった[4]。また、形而上学を基準にして「観念論的」「唯物論的」「一元的」「二元的」「多元的」などと分類されることもある[4]。民俗学を用いて、各民族の文化ごとに分類する、ということも行われている[4]。つまり、どのような学問を論点・基準などとして持ち出すか、ということで様々な分類のしかたがあるわけである。
日本のポストモダンの文芸評論においては、ライトノベルなどのフィクションの中での世界の設定の類などを指すために「世界観」という言葉が(従来の哲学的・学問的な用法とは少し異なったニュアンスで)しばしば用いられるようになっている。これについては「文芸評論のなかでの世界観」として最後に述べる。
Weltanschauungslehre(世界観学)が先駆的に現れたものとしては、(一応は)ライプニッツのモナドロジーが挙げられる[3]。ただし、概説ですでに述べたように、ドイツ語のWeltanschauung(世界観)という言葉が学問的な用語として頻用されるようになったのは20世紀初めのことである[3]
ディルタイは「世界観の究極の根源は生(生きること、人生、生命)である」とした[4]。そして、「世界観がさまざまであるのは生が歴史的・相対的にあらわれていることによるのだ」として、ひとつの共通の生に根差していても互いに矛盾する世界観が複数並存することは可能であり、生の立場にまで遡ることによって歴史上の様々な世界観の内的構造や類型を理解する、という役割が哲学にはある、とした[4]。 通常、「世界観学」と言うと、このディルタイの言った意味で用いられる[5]。
ゴンペルツは、形而上学と認識論を総合する学問的体系を想定しそれを「世界観学」と呼んだ[4]。
世界観は次のような問いに答えようとする。
この記事に雑多な内容を羅列した節があります。 |
[要出典]世界観は、その現実をみることから導きだされる認識論を含む。世界観の批判はもう一つの世界観によって行われる。したがって近代以降、哲学的な物事の理解には必然的に世界観が伴うとされ、現代においても哲学論争が主に世界観の対立という形でおこなわれている。
世界観は人間と絶対的他者である自然、社会を媒介するものである。また、自然、社会に対するあらゆる価値判断は大なり小なり特定の世界観を背景にしている。以下このような世界観が哲学的に成立していく過程を記述する。
「個人を世界に投げ出されたアトム[要曖昧さ回避]的存在とみるならば、世界は個人にとって絶対的他者である[要出典]。個人とおなじくアトム的存在である別の個人との関係性でさえ、世界と同じ絶対の他者的関係性をもつ。この意味でわれわれは常に他者との関係性という限りにおいて世界を評価することになる[要出典]。世界が絶対的他者であるならば、われわれにとって世界との完全な同一化は不可能である。これは世界の理解に一定の限界を認めることであり、不可知論を伴う。世界観とはこのような不可知論的立場で最終的には解決されえない個人と世界との自他性を解決するために措定された、人間の意識レベルにおいての世界の何らかの投影像である[要出典]。世界観がしばしば擬人化を含んでいることもこのためである。」
世界観は個人にとって他者である世界の属性を持っているが、客観的存在としての世界とは異質であり、その意味において個人内に存在している。絶対的他者である世界の側から見れば、個人に従属している観念である。客観的存在である世界は普遍的に存在すると考えられるのに、世界観をめぐって論争や対立がおこるのはこのためである。
次に近代哲学史における歴史的な経緯について述べる。
18世紀に全盛を迎えた啓蒙主義は理性によって、万人が公平に認める世界の根本的な原理を考えることが可能であるとした。この考え方は、なにか絶対的な真理(たとえば宗教)によりかからずにわれわれ自身が自立して思考することができるということを保証した。啓蒙主義は自然科学的な成果に基づいたものであり、社会科学や哲学の分野でもこのような根本原理を理性によって明らかにすることは有意義であるとされた。このような理性万能主義の立場にたてば、理性そのものは普遍で不変であり万人に共通であるから誤りようがなく、われわれが何かについて異なる見解を持っているとすれば、それは認識の違いによるものであるという結論にゆきつく。啓蒙主義の主流がイギリス経験論であり、根本的に認識論の立場が重要視されたのも以上の理由による[要出典]。
しかし、イギリス経験論はこの認識論を深めていった結果、観察者である個人が絶対的他者である世界をありのままに認識することが不可能であるということを認めざるを得なくなった。無限的存在である世界に対して個人はつねに有限的であるから、理性がたとえ無限の可能性を持っていたとしても、個人が有限である以上理性はある段階で時間的空間的に世界とは切り離されてしまうのである。常識的に言えば、われわれは江戸時代に生きることはできないし、いま日本にいるわれわれが同時にアメリカに存在することはできない。この限りにおいて個人と世界の間には永遠なる断絶が存在するのである。
[要出典]啓蒙主義以前であればこのような問題は世界に対して絶対的な真理を主張する宗教によりかかることによって解決可能であったかもしれない。だが啓蒙主義はすでに宗教を科学の世界から追放してしまったのである。近代哲学がこの宗教に代わる代弁者としてもってきたのが世界観であったといえる。このような世界観は近代哲学に理性以上にラディカルな姿勢をもちこむ一方、世界観の対立という厄介な問題をもたらした。近代哲学は問題の所在を世界観に大きく依存してしまったために、世界観の対立がしばしば哲学の本質問題とされている。この意味で啓蒙主義における理性のような普遍的な価値を、近代以降の哲学は失ってしまったと考えられる。
ここでは代表的な世界観を適宜分類しながら概観し、その特質を明らかにする。
唯物論とは世界の根本的な原理は何らかの物質的性格を持つとする考え方。
世界の根本的な原理は何らかの精神的性格を持つとする考え方。 唯心論はしばしば観念論と同義とされるが、観念論は狭義においては独我論をさすこともある。
以上の原理の性格的側面による分類以外に、原理の研究態度による分類が可能である。
唯一神教に宗教・思想的に統一されていた西洋社会の世界観とは異なり、東洋思想においては一定の歴史的段階を持って変質していく世界観が提示されていることが多く、そのため原理自体が歴史的に流動的であるとされ、原理的に世界像を描き出すことはそれほど主要な哲学的問題とはされず、しばしば実用面が重視された。とはいえ東洋思想も独自の世界観をもっているため、それを記述する。
民族学などで用いられる本来の「世界観」とは異なる用法として[6]、日本の出版業界において漫画やライトノベルを対象とする、ポストモダンの文芸評論における用語としての「世界観」がある[注釈 1]。本来の意味から転じて、「フィクションにおける世界設定」の意味で用いられる[7]。大塚英志や東浩紀らはとくにライトノベルを「キャラクター小説」と呼び、「世界観」を含むメタフィクション的な要素に比重をおくものとして捉え、既存の文学とは一線を画すものと規定している(但し、言葉の正しい用法からすれば完全に誤用である。「世界観」はあくまでも「存在する世界を人間がどう見るか」であり、「主は世界、従は人間」なのだから、「作者の世界観」「作品の世界観」と言う言葉は本来成立しない)。
この場合の世界観とは、フィクションの世界の登場人物が、その物語の中の世界をどのように観て、受け止めているかという設定のことである[8]。現実世界に直接的な影響を及ぼそうというものではないため、哲学的には世界観という範疇には収められない。哲学的な世界観とは、哲学的世界観の諸相に述べた哲学的根本衝動を持つ者が現実を把握しようと努めるときに得るものであり、世界に対して規定的に働きかけるものだからである。しかしながら、大塚英志によれば、現実世界とイコールではないにしても作品世界は現実世界の一面を表象していると考えられ、作品世界を通して間接的に現実世界を評価することは有意義であるという。読者は物語世界に根差した価値観を持つ登場人物の視点を通じ、物語の世界を観ることになるのである[8]。
この「世界観」には以下のような特徴的な性格をあげることが出来る。
この意味における世界観は作品単体の世界設定にとどまらず、続編作品や派生作品などの二次作品の世界設定に継承され、またそれを保証するものである。同時に作者が設定した世界設定をこえて、その作品の読者や派生した作品すべてと世界設定を共有することができ、このような世界観を通して作品に関わるあらゆる人がその構築、発展に参加していくことができるという考えを大塚は示している。
大塚によれば、以前は単に「設定」と呼ばれていたものを「世界観」と言い換えるような言い回しを耳にするようになったのは1980年代半ば頃で、アニメ業界から漫画業界に持ち込まれる一方、こうした設定を出版物として扱うテーブルトークRPGが日本に持ち込まれる過程で広まったのではないかと述べている[6]。
現在(2020年代)は時期的にすでにポストモダン以降であるが、「世界観」という言葉は引き続き上記のような意味で用いられている。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.