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中井千万騎
大日本帝国陸軍軍人 ウィキペディアから
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中井 千万騎(なかい ちまき、1896年(明治29年)7月1日[1] - 1983年(昭和58年)2月17日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]。旧姓は中村。
経歴
1896年(明治29年)に愛媛県で生まれた[1]。陸軍士官学校第30期、陸軍大学校第39期卒業[1]。1940年(昭和15年)3月9日に陸軍砲兵大佐進級と同時に第1船舶輸送参謀に着任し[2]、6月8日に船舶輸送参謀を経て[2]、8月1日に支那派遣軍参謀に着任し[2]、日中戦争に出動[1]。1941年(昭和16年)7月7日に兼中支那碇泊場監部参謀となる[2]。7月31日に留守第20師団参謀長に転じ[2]、1943年(昭和18年)9月に第1船舶輸送地区隊長として太平洋戦争に出征し[1][2]、1944年(昭和19年)4月に第12船舶団長に着任[2]。1945年(昭和20年)3月1日に陸軍少将に進級し[2]、4月1日に船舶砲兵団長となった[1]。
脚注
参考文献
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