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中右記

藤原宗忠が1087年から1138年まで書いた日記 ウィキペディアから

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中右記』(ちゅうゆうき)は、藤原宗忠寛治元年(1087年)から保延4年(1138年)まで書いた日記である。宗忠は『愚林』と名付けたようだが[1]、「中御門右大臣の日記」を略して『中右記』と呼ばれる[2]

解説

応徳4年・寛治元年(1087年)、宗忠26歳の元旦から書かれた。初めから寛治5年(1091年)までは、元の日記をずっと後に整理して書き改めたもので、寛治3年(1089年)の分は本人、他の年は子の宗能が改稿した。その結果以降の時期と比べて簡略になっており、中でも寛治3年(1089年)の分がもっとも短くなった。改稿により原本は破棄された[3]

一部欠落はあるが、50余年にわたり政治上の要事を克明に書き留めた記録である。人の死亡時に六国史にあるような略伝を付けたのが日記では他に例のない特徴である[4]。当時の政治社会情勢や有職故実、人物像を知る上できわめて有用で、院政初期の基本史料である。

鎌倉時代の写本が宮内庁書陵部に所蔵されているほか、 江戸時代の写本が東山御文庫に収録されている[5]

災害の記録

見聞きした災害の様子が記述されており、規模や被害を推定する根拠の一つとなっている。

刊本

脚注

参考文献

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