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中御門経民
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中御門 経民(なかのみかど つねたみ、1893年(明治26年)5月13日[1] - 1989年(平成元年)12月31日[1][2])は、大正から昭和期の官僚、政治家、華族。貴族院男爵議員。

経歴
海軍士官・男爵、中御門経隆の三男として生まれた[1][3]。父の隠居に伴い、1915年(大正4年)10月30日、男爵を襲爵した[1][3][4]。
1917年(大正6年)7月、京都帝国大学法科大学政治経済学科を卒業[2][3][5]。同年、拓殖局嘱託となる[2]。その後、衆議院書記官兼拓務書記官、衆議院秘書課長、同調査部二課長、衆議院事務局議事課長、海軍省事務官、議院制度調査会幹事、議会制度審議会幹事などを務めた[2][3]。
1939年(昭和14年)6月21日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[6][7]、公正会に所属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで2期在任した[2]。その他、学習院評議会会員、拓務省委員、大東亜省委員、外貨債処理委員会委員などを務めた[2]。
親族
脚注
参考文献
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