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中野浩 (青森市長)
日本の政治家 ウィキペディアから
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中野 浩(なかの こう、1876年(明治9年)[1][2] - 没年不明)は日本の政治家。青森県青森市長。
来歴
青森県中津軽郡弘前に生まれる。青森県立弘前中学校(現・青森県立弘前高等学校)を経て[1]、明治大学法科を卒業する[1][2]。卒業後は台湾総督府官吏となったが、短期間で辞職した[1]。その後は、時事新報、東京毎日新聞の各記者を経て[1][2]、東京市に入り、赤坂(1920年4月から1925年8月まで[3])、深川(1925年8月1日から1926年8月7日まで[3])の各区長を務めた[1][2]。
1926年、青森市長に就任。在任中に東津軽郡滝内村と造道村の一部を編入[1]。練兵場の移転と青森港の拡張問題には苦慮した[2]。1930年に市長を退任。東京に戻り、碑衾町最後の町長(1931年10月17日から1932年9月30日まで[4])を務めた後に淀橋(1932年10月1日から1933年11月2日まで[3])、板橋(1933年11月から1934年6月まで[3])の各区長を務めた[1][2][5]。
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脚注
参考文献
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