トップQs
タイムライン
チャット
視点
丸野頼成
日本の武将 (1350-1394) ウィキペディアから
Remove ads
丸野 頼成(まるの よりなり)は、南北朝時代から室町時代前期にかけての武将。相良氏6代当主・相良定頼の四男で丸野氏の祖。通称は四郎。初名は頼豊。
生涯
相良氏の惣領で人吉城主の相良前頼は兄で、今村頼刧、小垣頼氏、丸目頼書、青井前成とも兄弟。
今川貞兼が都之城(都城市)を本拠とする北郷氏を攻めた際、長兄の前頼と共にその支城を攻めた。しかし島津元久の援軍が現れて、樺山城合戦で敗北。近くの野々美谷城に退去したが、逆に城を攻められ、明徳5年1月19日(1394年2月19日)に前頼と共に戦死した。法名は示賢。
参考文献
- 『南藤蔓綿録』(1977年 青潮社)
- 『人吉市史 第一巻』 人吉市史編さん協議会
- 熊本県教育会球磨郡教育支会 編『国立国会図書館デジタルコレクション 球磨郡誌』熊本県教育会球磨郡教育支会、1941年 。
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads