トップQs
タイムライン
チャット
視点

丹尾頼馬

明治から昭和初期の農業経営者、実業家、政治家 ウィキペディアから

丹尾頼馬
Remove ads

丹尾 頼馬(にお たのま、1858年10月15日(安政5年9月9日[1][2])- 1928年昭和3年)7月8日[1][3][4])は、明治から昭和初期の農業経営者、実業家政治家衆議院議員福井県丹生郡岡山村長。

Thumb
丹尾頼馬

経歴

越前国丹生郡下野田村[1][5]福井県[3]岡山村、豊村[4][6]を経て現鯖江市[1][5])で、丹尾兵馬の長男として生まれた[1][2]。その後、大地主、農業、村役、馬売買を営む本家・丹尾清左衛門の養子となる[1]。同郡家久村の木村塾で学び[1]、1866年(慶応2年)福井藩立・立教館に入り漢学、数学、習字を修めた[2]。1869年(明治2年)中學明新館(現福井県立藤島高等学校)に入学[2]。その後上京し、築地のカロゾルス(クリストファー・カロザース)に師事し英語を修めた[2]。1877年(明治10年)慶應義塾に入った[1][2][3][5][6]

1881年(明治14年)自由党が創立されると、丹南地方の有志と共に入党し、大地主・富商らと政治活動に加わった[1][5]。1885年(明治18年)丹生郡下野田村外13ケ村戸長となる[2][3][6]。1889年(明治22年)4月、町村制施行により岡山村が発足すると初代村長に就任[1][2][3][5][6]。丹生郡会議員にも選ばれ2期在任し[1][3][5][6]、郡参事会員も務め[2]、その他、郡徵兵参事員、水利組合管理郡会議員などにも在任[2]。1897年(明治30年)8月、福井県会議員に選出され2期在任し[1][5]、同参事会員も務めた[3][6]。この間、道路整備の推進、九頭竜川改修事業の区域拡大などに尽力した[1][5]

1902年(明治35年)8月、第7回衆議院議員総選挙(福井県郡部)で初当選し[1][2][7]、以後、第10回総選挙まで再選され[1]、衆議院議員に連続4期在任した[3][4][6]。この間、立憲政友会院内主事などを務め[4]、敦賀道の改修に尽力した[1][5]

実業界では、1899年(明治32年)北陸絹糸株式会社の設立に参画し社長に就任した[2][3][6]

Remove ads

国政選挙歴

脚注

参考文献

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads