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丹羽氏厚
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丹羽 氏厚(にわ うじひろ)は、日本の華族(子爵)。氏次系丹羽家13代。
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略歴
文久2年(1862年)2月1日、播磨国三草藩 第6代藩主・丹羽氏中の三男として生まれる。明治4年(1871年)12月、従五位に叙任する。明治11年(1878年)2月、氏中の隠居により家督を継いだ。明治17年(1884年)7月に子爵の位を授けられ、12月、宮中祇候に任じられる。明治18年(1885年)に宮中祇候を辞め、芝離宮の吹上御宛勤番を命じられる。明治19年(1886年)2月、宮中勤番を辞め、明治26年(1893年)2月より、久邇宮へ書道を教え始める。明治30年(1897年)7月には正四位を授けられる。明治32年(1899年)に久邇宮出仕となる。明治36年(1903年)には従三位となる。明治40年(1907年)久邇宮出仕を辞める。明治45年(1912年)7月、正三位となる。
系譜
- 父:丹羽氏中(1836-1884)
- 母:朔(1833-?)
- 妻:チヨ(1866-1940)- 松崎左吉維朝の娘、上田勝行の養女
- 長女:三草子(1894-1967)- 深瀬清三の妻 のち中林実の妻
- 二女:千草子(1898-?)- 林マスの養女
- 長男:丹羽氏郷(1902-1940)
- 長男妻:寿美子(1911-?)- 田中信吉の長女
- 孫:千寿子(1936-)- 積水化学工業本社勤務
- 孫:由紀子(1939-)
- 長男妻:寿美子(1911-?)- 田中信吉の長女
出典
- 『人事興信録 初版』明治36年 人事興信所
- 『人事興信録 第2版』明治41年 人事興信所
- 『人事興信録 第3版』明治44年 人事興信所
- 『人事興信録 第4版』大正4年 人事興信所
- 『人事興信録 第5版』大正7年 人事興信所
- 『華族畫報』大正2年 華族畫報社
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