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久保田きぬ子

1913-1985, 憲法学者。国連総会の政府代表代理、中央教育審議会や被爆者対策基本問題懇談会の委員、東京都知事顧問などを歴任。 ウィキペディアから

久保田きぬ子
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久保田 きぬ子(くぼた きぬこ、1913年2月10日 - 1985年12月24日)は、日本憲法学者。元立教大学法学部教授、元東北学院大学法学部教授。専門はアメリカ憲法プライバシー権など。

概要 人物情報, 生誕 ...

人物

相川町(現新潟県佐渡市)出身。国連総会の政府代表代理、中央教育審議会被爆者対策基本問題懇談会の委員、東京都知事顧問などを歴任。父は元相川町長の久保田金五郎 (8代目)、祖父は新潟県第27大区副大区長を務めた久保田金五郎 (7代目)。従弟小父に青野季吉、再従弟に青野聰がいる。

藤田晴子などと並び、東京大学初の女子学生の一人である(入学当時33歳)。東京大学法学部を受験した理由は、(1)試験が外国語と論文だけで受験準備の必要がなかったこと、(2)婚期を逸し、一生自立していく必要があったが、東大での勉学がその役に立つかもしれないと考えたこと、(3)日本女子大学の学生時代から政治的、社会的な問題に関心があったことの3点であったと、後に回顧している[1]

指導教官は宮沢俊義[2]。アメリカ憲法を研究するため、アメリカに詳しい高木八尺の薫陶も受けた[2]。また、プリンストン大学に留学した際は、エドワード・S・コーウィンの指導を受けた[3]

「宴のあと」事件では、原告の有田八郎に従来の名誉毀損ではなく、プライバシーの侵害で訴えることを提案した。

日曜日授業参観事件については、「この事件はそもそも裁判所で争うに価する程の問題であろうか。さらにまた、信教の自由を持ち出して論ずべき程の事件であろうか。(中略)常識的に考えて解決すべき問題である」と述べ[4]、訴訟以外の方法による解決を主張した。

1967年4月に行われた東京都知事選挙では、美濃部亮吉の推薦人に名を連ねた[5]

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略歴

主要著書・編著

  • 『法学入門(第4版)』(共編著)(有斐閣新書、2000年)

脚注

関連項目

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