トップQs
タイムライン
チャット
視点

久保田敏彦

ウィキペディアから

Remove ads

久保田 敏彦(くぼた としひこ、1953年11月16日 - )は、日本の元騎手

概要 久保田敏彦, 基本情報 ...

来歴

要約
視点

1977年3月5日中京第1競走4歳以上200万下・ヒカリイチ(7頭中5着)で初騎乗を果たし、5月7日京都第9競走5歳以上600万下・エバートホースで初勝利を挙げる[1]9月11日阪神第9競走4歳以上オープンではシンザン産駒の「芦毛の快速馬」[2]シルバーランドに騎乗してクラウンピラードヤマニンバリメラに勝利し[3]、1年目の同年は7勝[4]をマーク。

2年目の1978年には3月26日の阪神で初の1日2勝[5]を記録したほか、春夏の新潟では4月30日に初の特別勝ち[5]を記録するなど8勝[6]を挙げ、初の2桁勝利となる19勝[4]をマーク。

3年目の1979年にはファニースピードで夏の新潟芝1200mの未勝利→五頭連峰特別(400万下)→豊栄特別(800万下)と3連勝し[7]、ファニースピードで3連勝[7]した8月5日に初の2日連続勝利[8]を記録。夏の新潟ではファニースピードの3連勝[7]を含む9勝[9]、秋の福島では6勝[9]を挙げ、自己最多で唯一の20勝台となる24勝[4]をマーク。

1980年春の小倉ではプリティーサムで11頭中11番人気の未勝利→6頭中5番人気のジュニアカップ(800万下)を連勝し[10]、秋の福島では前年に続いて6勝[11]を挙げ、3年連続2桁勝利となる15勝[4]をマーク。

1981年には4年連続で最後の2桁勝利となる14勝[4]をマークし、1982年12月5日の中京第9競走4歳以上400万下では14頭中14番人気のフジシングンで勝利して単勝万馬券[12]の波乱を起こす。

1983年には日経新春杯中京記念で1980年のダービーオペックホースに騎乗し[13]1985年10月27日の福島第11競走河北新報杯では青森産馬キクノカステリア[14]で12頭中10番人気ながら勝利して枠連26470円[15]の波乱を起こす。

1988年には秋の福島で後に100戦を達成するスペインランド[16]丸山雅夫から交代して騎乗し[17]10月29日の第11競走久慈川特別では12頭中12番人気で2着に入って枠連24210円[18]の波乱を起こすと、11月6日の第10競走秋元湖特別で2勝目[17]に導く。ジョーノビイマスクではダート1000mの未勝利→野地特別(400万下)を共に逃げ切りで連勝[19]するなど、秋の福島戦5勝[20]を含む8勝[4]をマーク。

1989年11月11日の福島第7競走4歳未勝利では14頭中14番人気のタマトップスピードで2着に入って枠連27320円[21]の波乱を起こし、1990年4月22日の福島第12競走4歳以上500万下では佐伯清久から交代したスペインランドを1年3ヶ月の勝利[17]に導く。

1990年4月28日の福島第9競走小野川湖特別・シンキタシバツバメが最後の勝利[22] となり、同年8月4日の小倉第12競走4歳以上500万下・ナリタラッキー(16頭中8着)を最後に現役を引退[23]

Remove ads

騎手成績

さらに見る 通算成績, 1着 ...

脚注

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads