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久米金弥
日本の内務・逓信・農商務官僚 ウィキペディアから
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久米 金弥(くめ きんや、慶応元年8月12日[1](1865年10月1日) - 昭和7年(1932年)5月6日[2])は、日本の内務官僚、逓信官僚、農商務官僚。


経歴
東京府士族久米美由の長男として生まれる[1]。1884年(明治17年)、東京大学を卒業後、内務省に入る[3]。書記官、参事官[4]、社寺局長[5]を歴任した。のち逓信省に移り、参事官、通信局長を務めた[1]。さらに農商務省に移り、特許局長、山林局長、農商務次官を歴任した[3]。
特許局長を務めていた1904年(明治37年)に農商務大臣清浦奎吾とともに「工業所有権保護協会」を創設し、常務委員長、副会長に就任した[6]。工業所有権保護協会は1910年(明治43年)に「帝国発明協会」と改称したが、引き続き副会長を務めた。
栄典
著書
- 『警官実用』(1886年、伊藤書店)
脚注
参考文献
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