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慶応
日本の元号 (1865-1868) ウィキペディアから
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改元
経緯
3月17日、朝廷から京都所司代・松平定敬に対して「乾永・文隆・大暦・万徳・慶応・明定・天政」の7案が伝えられ、定敬は幕府に報告したが、将軍・徳川家茂が朝廷に対して「何以被採用所存無之候」「叡慮之通慶応可然被存候」と述べて改元については孝明天皇の意向に全て従うという意見書を出し、改元当日の御所での儀式を諸藩代表に公開するなど、江戸幕府創設以来幕府が奏上してきた改元制度が終焉したことを示すものとなった[2]。
なお、この改元の勘申を命ぜられた高辻修長から出された案の中に「平成」が含まれていた[3]が最終の7案には残らず、この時には採用されなかった。「平成」が元号として採用されるのは、124年後の1989年1月8日のことである[注 2]。
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出典
慶応年間の出来事
誕生
- 元年: 泉重千代 - (120歳で死亡した男性で、昭和時代に死亡した江戸時代生まれの最後の人物とされてきたが、1880年〈明治13年〉生まれ説もある)
- 2年: 若槻禮次郎 - (第2代憲政会総裁、第2代立憲民政党総裁、第25・28代内閣総理大臣)
- 3年: 夏目漱石 - (小説家、評論家、英文学者)
- 3年: 豊田佐吉 - (トヨタグループ創始者)
- 3年: 平沼騏一郎 - (枢密院議長、第35代内閣総理大臣)
- 3年: 志村源太郎 - (銀行家、日本勧業銀行総裁)
- 3年: 鈴木貫太郎 - (枢密院議長、第42代内閣総理大臣)
- 4年: 宇垣一成 - (陸軍大将)
- 4年: 岡田啓介 - (海軍大将、第31代内閣総理大臣)
- 4年: 藪内節庵 - (茶人)
死去
西暦との対照表
※は小の月を示す。
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脚注
関連項目
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