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慶応

日本の元号 (1865-1868) ウィキペディアから

慶応
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慶応けいおう旧字体慶應とは、日本元号の1つである。元治の後、明治の前。大化以降227番目、243個目の元号である。1865年から1868年までの期間を指す。この時代の天皇孝明天皇明治天皇江戸幕府将軍徳川家茂徳川慶喜

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慶応3年(西暦1867年)に発行された年だったので、が描かれている。

江戸時代最後の元号であり、一世一元の制導入(一世一元の詔発布)以前の最後の元号である。

改元

経緯

3月17日、朝廷から京都所司代松平定敬に対して「乾永・文隆・大暦・万徳・慶応・明定・天政」の7案が伝えられ、定敬は幕府に報告したが、将軍・徳川家茂が朝廷に対して「何以被採用所存無之候」「叡慮之通慶応可然被存候」と述べて改元については孝明天皇の意向に全て従うという意見書を出し、改元当日の御所での儀式を諸藩代表に公開するなど、江戸幕府創設以来幕府が奏上してきた改元制度が終焉したことを示すものとなった[2]

なお、この改元の勘申を命ぜられた高辻修長から出された案の中に「平成」が含まれていた[3]が最終の7案には残らず、この時には採用されなかった。「平成」が元号として採用されるのは、124年後の1989年1月8日のことである[注 2]

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出典

文選』の「(まさ)に輝くべし」より。勘申者は唐橋在光

慶応年間の出来事

誕生

死去

西暦との対照表

※は小の月を示す。

さらに見る 慶応元年(乙丑), 四月 ...
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脚注

関連項目

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