トップQs
タイムライン
チャット
視点

木下廣信

明治時代の京都の画家 ウィキペディアから

Remove ads

木下 廣信(きのした ひろのぶ、弘化元年1月14日1844年3月2日〉 ‐ 没年不明)とは、明治時代画家

来歴

明治17年(1884年)刊の『第二回内国絵画共進会 出品人略譜』などによれば鈴木広貞の門人、のち幸野楳嶺を師とする[1]。木下源太郎という人物の息子で日峯と号し、京都府下京区西之町に住む。元治元年(1864年)から広貞に絵を学ぶという。龍池会に所属し、明治15年と明治17年の内国絵画共進会に出品し、いずれも褒状を得、また明治17年の第二回巴里府日本美術縦覧会にも絵を出品している。明治27年(1894年)の『新撰年中重宝記』には、「現存各派画家」に大阪の画家として「木下日峰」の名があり、この頃まで存命していたと知られるが没年は不明である。

作品

脚注

参考文献

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads