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五味卯三郎

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五味 卯三郎[1](ごみ うさぶろう、1855年8月28日安政2年7月16日[2] - 1923年大正12年〉9月1日[3])は、日本政治家資産家[4]地主[2][5]。東京府会議員、東京市会議員[2][5]神田区会議員[6]。族籍は東京府平民[2][5]

経歴

栃木県宇都宮の人で、宇都宮藩士・五味吉房の二男[1][2][5]1869年[1]、東京に出て吉川慎堂の門に入り漢籍洋書を学んだ[7]1875年、分かれて一家を創立した[2][5]

1873年樺太に渡り、後九州に於いて警察官となり西南戦争に従う[2][5]1879年、兄が病んで没した[1]。卯三郎は官を辞めて上京し、遺子・保に其の後を継がせ、自ら分家した[1]

1892年、神田区会議員に挙げられ、以来20有余年間毎回当選した[7]1896年、東京府会議員に挙げられ、1897年、東京市会議員に選出された[7]。東京市参事会員である[2][5]

1923年9月1日関東大震災により死去、翌年の1924年8月11日に葬儀を行う[3]。墓所は青山霊園1-ロ-16。

人物

資産家である[2][5]。信仰は仏教禅宗[6]。趣味は弓術[6]。愛読書は山陽の著書[6]。住所は東京神田猿楽町[2][5]

家族・親族

五味家

脚注

参考文献

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